Entries
玉野古道と玉野用水・堰堤
かつて土岐や多治見の人たちは、陶器を名古屋へ運ぶための平坦な道を求めていたが、尾張藩には認められなかったという。ようやく街道が開通したのは明治28年 (1895) になってからである。しかし翌年には国鉄中央線工事のため寸断され、たった1年だけの “幻の街道” になってしまった。
愛岐トンネルが有名になり、多くの行楽客が訪れるようになった現在、この古道は散策路として再び陽の目を見るようになった。川沿いの細道からは、線路沿いに植えられたカエデの紅葉や古い鉄橋を見上げることができる。

この川は、美濃を流れる間は土岐川と呼ばれるが、尾張に入ると庄内川と名付けられた。ただし、この山間の風光明媚な区間は、「玉野渓谷」 と呼ばれている。左岸の山中に尾張初代藩主・義直公の廟もあって、定光寺駅近辺には料亭や土産店などが軒を並べていたという。
玉野渓谷の右岸に玉野用水が流れている。この水路は、享保14年 (1729) に、玉野村の住人が長年の水不足を解消するために開削し、20町歩 (約20ha) の水田に灌漑したのが始まりである。その後大正2年に改修され、さらに大正10年には、堰堤に水力発電のための取り入れ口としての改修も行なわれて現在に至っている。それは、尾張地方唯一の水力発電所である。

愛岐トンネルが有名になり、多くの行楽客が訪れるようになった現在、この古道は散策路として再び陽の目を見るようになった。川沿いの細道からは、線路沿いに植えられたカエデの紅葉や古い鉄橋を見上げることができる。

この川は、美濃を流れる間は土岐川と呼ばれるが、尾張に入ると庄内川と名付けられた。ただし、この山間の風光明媚な区間は、「玉野渓谷」 と呼ばれている。左岸の山中に尾張初代藩主・義直公の廟もあって、定光寺駅近辺には料亭や土産店などが軒を並べていたという。
玉野渓谷の右岸に玉野用水が流れている。この水路は、享保14年 (1729) に、玉野村の住人が長年の水不足を解消するために開削し、20町歩 (約20ha) の水田に灌漑したのが始まりである。その後大正2年に改修され、さらに大正10年には、堰堤に水力発電のための取り入れ口としての改修も行なわれて現在に至っている。それは、尾張地方唯一の水力発電所である。

- 関連記事
-
- 岡崎の岩津発電所 (2018/12/23)
- 玉野古道と玉野用水・堰堤 (2018/12/19)
- 宇連ダム (2018/08/30)
コメント
コメントの投稿
トラックバック
- トラックバック URL
- http://chubu-fukken.com/tb.php/510-f0b49aad
- この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)