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京都御所の庭
“鳴くよ鶯(うぐいす)平安京”、長岡京から都を移した年号794年を覚えるための語呂合わせである。明治2年(1869)に東京へ遷都するまでの1075年間、京都は日本の都であり続けた。京都御所は天皇の住まいであったが、平安以来何度となく火災などのために場所を移している。現在の位置に定まったのは、14世紀中ごろのことという。
紫宸殿の北東に広がる庭園は、池を中心とした池泉廻遊式である。「御池庭」と呼ぶ。これもいろいろな変遷を経ているが、今のような形になったのは江戸時代初期であろうと考えられている。手前に小石の州浜が池に向かってなだらかに傾斜し、対岸には豪壮な護岸石組み、いくつかの石橋や土橋、松を中心とした植込みなどを配している。

紫宸殿の南には、2本の樹木が象徴的に植えられている。「左近の桜・右近の橘」である。桜はヤマザクラ、日本の山地に自生する種類である。奈良時代は花と言えば梅であり、左近の樹は梅であったが、平安時代になると桜が好まれるようになり、「左近の桜」が成立したようである。
「橘(たちばな)」はミカンの仲間、柑橘類に属する。柑橘類は、東南アジアから中国南部を原産地とするが、タチバナは日本の野生種と考えられている。古代から貴族に愛好され、万葉集に67首もの歌が収録されている。ただ、食用というより花や実が鑑賞用として好まれていたようである。

≪左・右は、紫宸殿の階(きざはし)から見たもので、正面から見ると逆になる・・・左の写真が橘、右の写真が桜≫
紫宸殿の北東に広がる庭園は、池を中心とした池泉廻遊式である。「御池庭」と呼ぶ。これもいろいろな変遷を経ているが、今のような形になったのは江戸時代初期であろうと考えられている。手前に小石の州浜が池に向かってなだらかに傾斜し、対岸には豪壮な護岸石組み、いくつかの石橋や土橋、松を中心とした植込みなどを配している。

紫宸殿の南には、2本の樹木が象徴的に植えられている。「左近の桜・右近の橘」である。桜はヤマザクラ、日本の山地に自生する種類である。奈良時代は花と言えば梅であり、左近の樹は梅であったが、平安時代になると桜が好まれるようになり、「左近の桜」が成立したようである。
「橘(たちばな)」はミカンの仲間、柑橘類に属する。柑橘類は、東南アジアから中国南部を原産地とするが、タチバナは日本の野生種と考えられている。古代から貴族に愛好され、万葉集に67首もの歌が収録されている。ただ、食用というより花や実が鑑賞用として好まれていたようである。

≪左・右は、紫宸殿の階(きざはし)から見たもので、正面から見ると逆になる・・・左の写真が橘、右の写真が桜≫
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