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名古屋テレビ塔
名古屋でテレビが初放映されたのは、昭和26年(1951)のことである。その3年後にNHKの本放送が開始された。次いで、中部日本放送(CBC)がテレビ放送を始めたが、そうした新しいメディアの登場の中でテレビ塔が建設された。
テレビ塔の開業は昭和29年(1954)のことである。高さは180m、当時は日本一高い建物であった。地上100mのところに展望台があり、6月20日の初日には約6000人もの見物客が展望台に登ったという。以来、戦災復興のシンボルである100m道路(久屋大通り)とともに、都心のランドマークとして市民に親しまれている。

時は移り、テレビはアナログからデジタル放送への時代を迎える。テレビ塔はデジタル放送用の送信アンテナを添架するには強度不足と判断されたので、平成23年をもって電波塔としての役割を終えている。現在は瀬戸市にあるデジタルタワーから送信が行なわれている。
地上高60mを超える塔や煙突は、航空法により赤と白に塗装する必要がある。しかし、このテレビ塔は銀色一色である。それは、法での規制が始まったのが昭和35年からであり、それ以前に建設されたこのテレビ塔には適用されないからである。銀色に光る姿は、「希望の泉」「オアシス21」など、どこからも美しい景観を見せている。(下右の写真は昭和29年当時に撮影)

テレビ塔の開業は昭和29年(1954)のことである。高さは180m、当時は日本一高い建物であった。地上100mのところに展望台があり、6月20日の初日には約6000人もの見物客が展望台に登ったという。以来、戦災復興のシンボルである100m道路(久屋大通り)とともに、都心のランドマークとして市民に親しまれている。

時は移り、テレビはアナログからデジタル放送への時代を迎える。テレビ塔はデジタル放送用の送信アンテナを添架するには強度不足と判断されたので、平成23年をもって電波塔としての役割を終えている。現在は瀬戸市にあるデジタルタワーから送信が行なわれている。
地上高60mを超える塔や煙突は、航空法により赤と白に塗装する必要がある。しかし、このテレビ塔は銀色一色である。それは、法での規制が始まったのが昭和35年からであり、それ以前に建設されたこのテレビ塔には適用されないからである。銀色に光る姿は、「希望の泉」「オアシス21」など、どこからも美しい景観を見せている。(下右の写真は昭和29年当時に撮影)

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