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作手の見代発電所跡
本宮山スカイライン入口のある和田峠を北東に進んだところに、愛知県では2番目にできた発電所の跡がある。見代発電所という。日本での水力発電所は、明治21年(1888)に宮城県でできたのが最初であるが、この発電所も古く、明治41年(1908)に送電を開始した。
水源は約2.5km離れたところにあり、木や鉄の樋、石の開渠などによって貯水槽に運ばれ、約100mの落差を使って横軸2基の発電機を回す。電気は豊橋の変電所に送られたが、地元集落21戸の電灯にも使われたという。

昭和34年(1959)に発電を停止して機械設備はなくなったが、木造平屋の建物は今も残っている。アメリカ下見板張りで上げ下げ窓の洋風建築である。土台石積みの下方に、半円形の排水口が見える。ここから巴川に直接水を流していた。
水の取入れ側の壁面は石造りである。落差100mもの水の勢いを受け止めるため、頑丈な造りとしたのであろう。廃止後は茶工場などに使われていたが、今は空き家になっている。しかし最近、建物内に「薪ストーブ」を設置し、間伐財などを利用した「再生エネルギー塾」が動き出している。若い人たちの体験活動の場として再利用されるようになった。


水源は約2.5km離れたところにあり、木や鉄の樋、石の開渠などによって貯水槽に運ばれ、約100mの落差を使って横軸2基の発電機を回す。電気は豊橋の変電所に送られたが、地元集落21戸の電灯にも使われたという。

昭和34年(1959)に発電を停止して機械設備はなくなったが、木造平屋の建物は今も残っている。アメリカ下見板張りで上げ下げ窓の洋風建築である。土台石積みの下方に、半円形の排水口が見える。ここから巴川に直接水を流していた。
水の取入れ側の壁面は石造りである。落差100mもの水の勢いを受け止めるため、頑丈な造りとしたのであろう。廃止後は茶工場などに使われていたが、今は空き家になっている。しかし最近、建物内に「薪ストーブ」を設置し、間伐財などを利用した「再生エネルギー塾」が動き出している。若い人たちの体験活動の場として再利用されるようになった。


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