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ナディアパーク
市制100周年を記念して平成元年(1989)に開催された「デザイン博覧会」を契機として、名古屋市は「デザイン都市宣言」を行なった。ナディアパークは、その内容を盛り込んだ“国際デザインセンター”事業として建てられたビルである。平成8年に竣工している。
地上12階・高さ70mのデザイン棟と、23階・108mのビジネス棟のツインタワーで、真ん中にガラス張りのアトリウムがある。アトリウム内広場の公開空地と南にある矢場公園は、階段と幅広いデッキでつながれている。(右の鳥瞰写真は、日建設計が作成した「栄地区ジオラマ」の一部である)

階段の中央に、金色に輝く大きな具象の彫刻が立っている。作者は、日展理事長も務めた文化勲章受章者・富永直樹氏である。守山区在住の篤志家夫妻が、青少年に夢を持ち続けてほしいと寄贈された。作品名は「夢の女神」である。
幅広のデッキは、道路空間に光を入れるために大きな穴が空いている。ここには建築以前から植えられていたシイノキの大木が残されている。ナディアパークの敷地は、もともと前津中学の分校(夜間は中央高校)であり、南の矢場公園と一体的に利用されていた。名古屋の戦災復興都市計画事業では、より広い防災空間を確保するため、学校と公園とがセットで配置されている。


地上12階・高さ70mのデザイン棟と、23階・108mのビジネス棟のツインタワーで、真ん中にガラス張りのアトリウムがある。アトリウム内広場の公開空地と南にある矢場公園は、階段と幅広いデッキでつながれている。(右の鳥瞰写真は、日建設計が作成した「栄地区ジオラマ」の一部である)

階段の中央に、金色に輝く大きな具象の彫刻が立っている。作者は、日展理事長も務めた文化勲章受章者・富永直樹氏である。守山区在住の篤志家夫妻が、青少年に夢を持ち続けてほしいと寄贈された。作品名は「夢の女神」である。
幅広のデッキは、道路空間に光を入れるために大きな穴が空いている。ここには建築以前から植えられていたシイノキの大木が残されている。ナディアパークの敷地は、もともと前津中学の分校(夜間は中央高校)であり、南の矢場公園と一体的に利用されていた。名古屋の戦災復興都市計画事業では、より広い防災空間を確保するため、学校と公園とがセットで配置されている。


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