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岩崎城跡
岩崎川は、日進市と長久手市の境・県農業試験場あたりに端を発し、日進市役所近くで天白川と合流する。岩崎川北の小高い丘の上に岩崎城跡があり、現在は「岩崎城址公園」として整備されている。
城跡に登ると、眼下に岩崎川・天白川流域の平地が広がるのを見ることができる。現在は、名古屋市東隣りの住宅地として、多くの家々が建ち並んでいる。しかし、往時は激しい戦いの行なわれた地であった。

天正12年(1584)、羽柴(豊臣)秀吉と織田・徳川連合軍が戦った「小牧長久手の合戦」において、連合軍方についた丹羽氏はこの城の留守を預かっていた。そこへ秀吉方の池田隊が攻め込み、守備の城兵全員が討ち死にしたのである。
以後、この城は廃城となり、そのままの形で荒れ果ててしまった。昭和59年、落城400年の記念大祭が行なわれたのを機に、歴史公園とする方針が決まった。今もわずかに形態を残す空堀などを保存しつつ、天守閣や歴史記念館などが新しくつくられている。

城跡に登ると、眼下に岩崎川・天白川流域の平地が広がるのを見ることができる。現在は、名古屋市東隣りの住宅地として、多くの家々が建ち並んでいる。しかし、往時は激しい戦いの行なわれた地であった。

天正12年(1584)、羽柴(豊臣)秀吉と織田・徳川連合軍が戦った「小牧長久手の合戦」において、連合軍方についた丹羽氏はこの城の留守を預かっていた。そこへ秀吉方の池田隊が攻め込み、守備の城兵全員が討ち死にしたのである。
以後、この城は廃城となり、そのままの形で荒れ果ててしまった。昭和59年、落城400年の記念大祭が行なわれたのを機に、歴史公園とする方針が決まった。今もわずかに形態を残す空堀などを保存しつつ、天守閣や歴史記念館などが新しくつくられている。

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