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瑞穂運動場と日比野寛先生像
名古屋市の運動場の歴史は、明治42年(1910)に開園した鶴舞公園の陸上競技場に始まる。しかし、トラックやスタンドの規模が時代の要請に比べて小さくなったことから、昭和16年(1941)に瑞穂運動場に移って拡大された。
戦後に始まった国民体育大会の第5回目(昭和25年)の開催地に愛知が選ばれ、瑞穂陸上競技場がメインの会場となった。その後、昭和58年の高校総体(インターハイ)や平成6年の「わかしゃち国体」の度ごとに、大改修を施して会場として使用されている。平成6年からは、サッカーJリーグのホームスタジアムとしての役割も果たしている。

陸上競技場の南隣に、ラグビー場がある。毎年、地域の高校・大学のリーグ戦や、トップリーグの対戦が行なわれている。今年の秋、日本で初めての「ラグビーワールドカップ」が開催される。全国各地のラグビー場で激戦が繰り広げられるが、当地では、瑞穂よりスタンド数の多い「豊田スタジアム」が選ばれている。
陸上競技場の正面ゲートの横に、ひとりの男性の銅像が立っている。日本のマラソンの始祖とも言われる日比野寛先生を顕彰して、昭和41年に建てられたものである。日比野先生は長く愛知一中(現旭丘高校)の校長を務められ、身体の強健と精神の健全との一体を教育の理念とした。「病人は病院へ行け、弱いものは歩け、健康な者は走れ、強壮な者は競争せよ」と説いたという。

戦後に始まった国民体育大会の第5回目(昭和25年)の開催地に愛知が選ばれ、瑞穂陸上競技場がメインの会場となった。その後、昭和58年の高校総体(インターハイ)や平成6年の「わかしゃち国体」の度ごとに、大改修を施して会場として使用されている。平成6年からは、サッカーJリーグのホームスタジアムとしての役割も果たしている。

陸上競技場の南隣に、ラグビー場がある。毎年、地域の高校・大学のリーグ戦や、トップリーグの対戦が行なわれている。今年の秋、日本で初めての「ラグビーワールドカップ」が開催される。全国各地のラグビー場で激戦が繰り広げられるが、当地では、瑞穂よりスタンド数の多い「豊田スタジアム」が選ばれている。
陸上競技場の正面ゲートの横に、ひとりの男性の銅像が立っている。日本のマラソンの始祖とも言われる日比野寛先生を顕彰して、昭和41年に建てられたものである。日比野先生は長く愛知一中(現旭丘高校)の校長を務められ、身体の強健と精神の健全との一体を教育の理念とした。「病人は病院へ行け、弱いものは歩け、健康な者は走れ、強壮な者は競争せよ」と説いたという。

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