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高月院(松平家菩提寺)
司馬遼太郎が、25年間書き続けた名著に『街道をゆく』がある。その最終巻は、NO43の『濃尾参州記』であるが、本の厚さが他のシリーズに比べて半分ほどしかない。それは、愛知のこの取材途中で体調を悪くし、その後急逝したためである。
絶筆となったその本の、そのまた最終章が「高月院」である。司馬遼太郎は、このときの訪問(平成8年)の30年前にもこの地を訪れていて、とても清らかな印象を覚えているという。以下抜粋して引用・・・
「高月院はいいですよ」 私は、同行の編集者にわがことのように自慢しておいた。
白壁だけが、唯一の贅沢だった。規模は小さく、建物もやさしくて、尼僧の庵のようであり、
いずれにしても私の脳裏にある日本の諸風景のなかでの重要な一風景だった。・・・

松平東照宮から東へ向かってなだらかな坂を300mほど登ると、大きな一本松があってその下に松平家菩提寺の門がある。門の扁額は杢の入った厚板で、「高月院」の文字が刻まれている。この門から階段上の中門までの間は少し広い砂利敷きで、両側には漆喰塗りの土塀が連なっている。
白壁の高さはせいぜい4尺(1.2m)程度で、塀越しにはるか遠くまで見渡すことができる。左を見ると菖蒲池があり、その下方に東照宮の森が見える。右側は棚田で、綺麗に草刈された土手を見せながら段々に登っていく。司馬遼太郎が日本で最も美しいと折り紙を付けた風景である。

絶筆となったその本の、そのまた最終章が「高月院」である。司馬遼太郎は、このときの訪問(平成8年)の30年前にもこの地を訪れていて、とても清らかな印象を覚えているという。以下抜粋して引用・・・
「高月院はいいですよ」 私は、同行の編集者にわがことのように自慢しておいた。
白壁だけが、唯一の贅沢だった。規模は小さく、建物もやさしくて、尼僧の庵のようであり、
いずれにしても私の脳裏にある日本の諸風景のなかでの重要な一風景だった。・・・

松平東照宮から東へ向かってなだらかな坂を300mほど登ると、大きな一本松があってその下に松平家菩提寺の門がある。門の扁額は杢の入った厚板で、「高月院」の文字が刻まれている。この門から階段上の中門までの間は少し広い砂利敷きで、両側には漆喰塗りの土塀が連なっている。
白壁の高さはせいぜい4尺(1.2m)程度で、塀越しにはるか遠くまで見渡すことができる。左を見ると菖蒲池があり、その下方に東照宮の森が見える。右側は棚田で、綺麗に草刈された土手を見せながら段々に登っていく。司馬遼太郎が日本で最も美しいと折り紙を付けた風景である。

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