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火の見櫓
大井川流域、大井川鐵道沿線の集落を歩くと、“昭和の匂い”がする。鉄道駅や踏み切り、民家や商店街などなど。そのひとつに遠くからでも見ることのできる「火の見櫓」がある。都市ではとっくに無くなってしまったけれども、このような山里ではまだ大切に活用されているのであろう。
都市でもかつては、消防団の拠点となる詰め所や集会所の近くに火の見櫓があった。消防団とは、消防組織法(昭和23年)に基づいて設置される消防機関である。消防団員は別に本業を持つ一般市民で、非常勤の地方公務員に位置づけられている。

起源は江戸中期に大岡忠相が組織した「町火消し」で、半鐘をもつ火の見櫓もつくられたという。明治27年(1894)になって、消防組規則が交付されて全国に「消防組」が設置された。戦時中は空襲に対応するために「警防団」に改編され、戦後になって「消防団」となったのである。
江戸時代は木造の高楼であったが、昭和初期にはほとんどの地域で鉄骨製の火の見櫓が整備された。町内で火災を発見したらすぐに半鐘を鳴らす施設である。その後、大都市では消防署などに消防団が収斂され、サイレンや防災無線などが整備されるに従って火の見櫓は役目を終えたのである。
都市でもかつては、消防団の拠点となる詰め所や集会所の近くに火の見櫓があった。消防団とは、消防組織法(昭和23年)に基づいて設置される消防機関である。消防団員は別に本業を持つ一般市民で、非常勤の地方公務員に位置づけられている。

起源は江戸中期に大岡忠相が組織した「町火消し」で、半鐘をもつ火の見櫓もつくられたという。明治27年(1894)になって、消防組規則が交付されて全国に「消防組」が設置された。戦時中は空襲に対応するために「警防団」に改編され、戦後になって「消防団」となったのである。
江戸時代は木造の高楼であったが、昭和初期にはほとんどの地域で鉄骨製の火の見櫓が整備された。町内で火災を発見したらすぐに半鐘を鳴らす施設である。その後、大都市では消防署などに消防団が収斂され、サイレンや防災無線などが整備されるに従って火の見櫓は役目を終えたのである。
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