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木曽川の太田橋と化石林
岐阜県太田宿近く、木曽川を渡る「太田の渡し」は、中山道の難所のひとつに数えられていました。太田橋が完成し、渡し船が役割を終えたのは昭和2年のことです。太田橋とその下流の今渡ダムについては、2017年10月20日にこのブログでご紹介しましたのでご覧ください。
今回は、河原まで下りて写真を撮りましたので、違うアングルでの橋の姿になりました。加えて新しい発見がありました。太田橋下流一体に広がる「化石林」を見ることができたのです。化石林とは、太古の時代に森林の樹木が土砂などに埋まり、化石(珪化木)となったものです。

平成6年夏、異常渇水のため木曽川の水位が下がった時に、立ったままの化石木が両岸で425本も見つかりました。これだけ大規模な化石林は全国でも初めてで、大変貴重な発見となりました。化石林のある地層は瑞浪層群といい、約1900万年前のものといわれています。
化石になった樹木の主な種類は、暖地に自生するアオギリの仲間で、今の日本では見ることができません。川岸の水面近くに、根株部分の化石を見ることができました。下の写真では、白っぽい色をした岩のように見えています。化石をよくよく観察すると、年輪のような模様を見ることができます。

今回は、河原まで下りて写真を撮りましたので、違うアングルでの橋の姿になりました。加えて新しい発見がありました。太田橋下流一体に広がる「化石林」を見ることができたのです。化石林とは、太古の時代に森林の樹木が土砂などに埋まり、化石(珪化木)となったものです。

平成6年夏、異常渇水のため木曽川の水位が下がった時に、立ったままの化石木が両岸で425本も見つかりました。これだけ大規模な化石林は全国でも初めてで、大変貴重な発見となりました。化石林のある地層は瑞浪層群といい、約1900万年前のものといわれています。
化石になった樹木の主な種類は、暖地に自生するアオギリの仲間で、今の日本では見ることができません。川岸の水面近くに、根株部分の化石を見ることができました。下の写真では、白っぽい色をした岩のように見えています。化石をよくよく観察すると、年輪のような模様を見ることができます。

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