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中山道の妻籠宿
京と江戸をむすぶ中山道は、山深い木曽路を通ることから「木曽街道」とも呼ばれていました。「中山道六十九次」のうち、京から28番目となる「妻籠宿」は、中山道と伊那街道が交叉する交通の要衝として、古くから賑わいを見せていました。
木曽川の支流・蘭川に沿った500mほどの間に、本陣・脇本陣・旅籠31軒が建ち並んでいました。明治になって鉄道や道路が新たにつくられ、宿場としての機能を失って衰退の一途をたどりました。しかし昭和40年代に集落保存と景観修復が行われ、昔ながらの町並みが復活しています。

1軒の旅籠の玄関脇に1本のアオギリが植えられていて、軒先につかえたのでしょうかS字型に折れ曲がっています。樹木を大切にする町の人たちの心が垣間見えて、何とも微笑ましい気持ちになりました。落ち葉が迷惑だとか剪定に予算がないとかの理由で伐採してしまう町とは大違いです。
町並みの中ほどに、「妻籠宿本陣」があります。島崎藤村の母の実家で、明治に至るまでは庄屋を兼ねていました。平成7年に復原された建物は、現在「南木曽町博物館」として使用されています。明治6年に開設された郵便御用取扱所は本陣が兼ね、書状集箱(今のポスト)が置かれていました。

木曽川の支流・蘭川に沿った500mほどの間に、本陣・脇本陣・旅籠31軒が建ち並んでいました。明治になって鉄道や道路が新たにつくられ、宿場としての機能を失って衰退の一途をたどりました。しかし昭和40年代に集落保存と景観修復が行われ、昔ながらの町並みが復活しています。

1軒の旅籠の玄関脇に1本のアオギリが植えられていて、軒先につかえたのでしょうかS字型に折れ曲がっています。樹木を大切にする町の人たちの心が垣間見えて、何とも微笑ましい気持ちになりました。落ち葉が迷惑だとか剪定に予算がないとかの理由で伐採してしまう町とは大違いです。
町並みの中ほどに、「妻籠宿本陣」があります。島崎藤村の母の実家で、明治に至るまでは庄屋を兼ねていました。平成7年に復原された建物は、現在「南木曽町博物館」として使用されています。明治6年に開設された郵便御用取扱所は本陣が兼ね、書状集箱(今のポスト)が置かれていました。

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