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旧東海道「金谷坂の石畳」
昨年連載した「大井川鐵道を遡る旅」は、途中の「長島ダム」までで終わっている。交通手段は車であり、大井川鐵道にも乗っていないので今度は鉄道の旅にしようと思った。先回は春先だったので、紅葉の時期にしようと考えたのだが残念ながら時間がとれず落葉期になってしまった。
新幹線と東海道本線を乗り継いで、まず降り立ったのは金谷駅である。ここから大井川鐵道に乗り換えるのだが、本数が少なく待ち時間があったので、駅近くにある「旧東海道石畳」を歩くこととした。駅の真上の国道473号から見ると駅舎の遠くに見事な富士山を望むことができる。

国道沿いにさらに進むと大きな縦看板があり、旧東海道石畳への入り口を教えてくれる。この石畳は、台地の上にある「日坂宿」と大井川沿い低地の「金谷宿」間の「金谷峠の坂道」に敷設されている。江戸幕府が、近郷集落に助郷を命じて、旅人の便宜のために整備したものである。
近年、この道はコンクリート舗装などに変わってしまい、石畳は30mほどになっていた。しかし平成3年になって、町民600人の参加を得て「平成の道普請」が行われ、430mの石畳が復元された。石の大きさは私の登山靴と同じくらい、直径30cmほどの山石である。現在、島田市の史跡に指定されている。

新幹線と東海道本線を乗り継いで、まず降り立ったのは金谷駅である。ここから大井川鐵道に乗り換えるのだが、本数が少なく待ち時間があったので、駅近くにある「旧東海道石畳」を歩くこととした。駅の真上の国道473号から見ると駅舎の遠くに見事な富士山を望むことができる。

国道沿いにさらに進むと大きな縦看板があり、旧東海道石畳への入り口を教えてくれる。この石畳は、台地の上にある「日坂宿」と大井川沿い低地の「金谷宿」間の「金谷峠の坂道」に敷設されている。江戸幕府が、近郷集落に助郷を命じて、旅人の便宜のために整備したものである。
近年、この道はコンクリート舗装などに変わってしまい、石畳は30mほどになっていた。しかし平成3年になって、町民600人の参加を得て「平成の道普請」が行われ、430mの石畳が復元された。石の大きさは私の登山靴と同じくらい、直径30cmほどの山石である。現在、島田市の史跡に指定されている。

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