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豊橋市 牟呂用水
牟呂用水が誕生したのは明治21年、渥美郡牟呂村 (現在は豊橋市) の干拓地 「神野新田」 に水を運ぶ目的で開削された。豊川河口から15kmほど上流の頭首工から取水し、新城市八名井や宝飯郡、豊橋市の農地を灌漑した後、豊橋市街を流れて三河湾近くで最終放水する。
現在は、工業用水や水道水としても利用されているという。途中、水面近くまで降りる階段があった。洗いものなどの生活にも使っているのであろう。この日も桶を水洗いする人がいた。

今回は、豊橋駅から用水に沿って海に向かって歩いてみた。豊橋駅を東に行くと、すぐ近くに用水が見つかり、両側に整備された遊歩道を歩くことができる。さすが 「530 (ゴミゼロ) 運動」 発祥の地らしく各所に看板が出ていて、そのとおり水路はきれいに保全されていた。
最終放水樋管は、堤防の大改修により新しい水門が整備されたため、現在は使われていない。しかし、神野新田の記念碑の隣に、わずかながらその姿を留めていた。樋管は御影石を積んだトンネル状で、目地は 「服部長七の人造石工法」 が使われている。トンネル部はコンクリートにより充填されていた。

現在は、工業用水や水道水としても利用されているという。途中、水面近くまで降りる階段があった。洗いものなどの生活にも使っているのであろう。この日も桶を水洗いする人がいた。

今回は、豊橋駅から用水に沿って海に向かって歩いてみた。豊橋駅を東に行くと、すぐ近くに用水が見つかり、両側に整備された遊歩道を歩くことができる。さすが 「530 (ゴミゼロ) 運動」 発祥の地らしく各所に看板が出ていて、そのとおり水路はきれいに保全されていた。
最終放水樋管は、堤防の大改修により新しい水門が整備されたため、現在は使われていない。しかし、神野新田の記念碑の隣に、わずかながらその姿を留めていた。樋管は御影石を積んだトンネル状で、目地は 「服部長七の人造石工法」 が使われている。トンネル部はコンクリートにより充填されていた。

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