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東山植物園の「合掌造りの家」
東山植物園の日本庭園、奥池のほとりに「合掌造りの家」が建っている。元々は岐阜県大野郡白川村字大牧にあったが、昭和30年ごろから鳩谷ダムの工事が始まり、大牧集落一帯が水没することとなったのである。そこで、この家の所有者太田家から寄贈を受け、昭和31年にこの地に移築されたものである。
この建物は、集落の中でも最も大きく由緒のあるもので、今から180年前の天保13年(1842)に築造されたという。広さは264㎡、高さは10m、四層茅葺き屋根である。分家をしない次男・三男も含めた大家族が、一緒に住む家であった。

一階は柱を使った組み立て式、二階以上がいわゆる「合掌」で丸太による小屋組みになっている。この家を造るのに、釘やカスガイは一切使われていない。丸太は「ねそ」と呼ばれる生木で結束される。「ねそ」とはマンサクのことである。この材は年月を経て乾燥が進むほどに締まっていき、結束がより固くなっていく。
合掌造りの家は、日本庭園の中心にある。奥池の手前は「也有園」、西の谷は「椿園」になっている。北の奥は、植物園で最も深い谷で、中部地方に自生する植物が生態的に植栽されている。太田家の家は、故郷を離れたが、周りの環境は移築前と同じように自然豊かである。


この建物は、集落の中でも最も大きく由緒のあるもので、今から180年前の天保13年(1842)に築造されたという。広さは264㎡、高さは10m、四層茅葺き屋根である。分家をしない次男・三男も含めた大家族が、一緒に住む家であった。

一階は柱を使った組み立て式、二階以上がいわゆる「合掌」で丸太による小屋組みになっている。この家を造るのに、釘やカスガイは一切使われていない。丸太は「ねそ」と呼ばれる生木で結束される。「ねそ」とはマンサクのことである。この材は年月を経て乾燥が進むほどに締まっていき、結束がより固くなっていく。
合掌造りの家は、日本庭園の中心にある。奥池の手前は「也有園」、西の谷は「椿園」になっている。北の奥は、植物園で最も深い谷で、中部地方に自生する植物が生態的に植栽されている。太田家の家は、故郷を離れたが、周りの環境は移築前と同じように自然豊かである。


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