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国宝「如庵」
もう一度三題噺。今度は「有楽斎」「如庵」「建仁寺」である。京都祇園・花見小路の南に建仁寺がある。その塔頭「正伝永源院」方丈の前庭を拝観した。その右奥に茶室がある。どこかで見たことがあると思ったところ、扁額には「如庵」とある。犬山・有楽苑で何度も訪れた茶室と同じである。
この茶室は、数奇な歴史をもつ。元和4年(1618)ころ、かの有名な織田有楽斎(信長の弟)が、隠棲の地とした正伝院に、書院とともに建てたものである。明治になって「廃仏毀釈」が荒れ狂う中、正伝院は廃寺となった永源庵(同じ建仁寺塔頭)跡地に移転することを余儀なくされた。

明治末には、如庵・書院ともに東京に移転することとなる。何度も移築されたのち、昭和47年(1972)に名古屋鉄道の所有となり、有楽斎生まれ故郷尾張の地に安住の地を得たのである。犬山城の東隣、名鉄ホテルの敷地内に「有楽苑」として整備されている。
寛政11年(1799)ころに描かれた「都林泉名勝図会」を見ると、書院と茶室やその前庭などの様子がよく分かる。有楽苑の造りは、この古図にかなり忠実だと思う。一方、元々の由来をもつ正伝永源院では、平成8年に如庵を復元整備したのである。有楽斎・如庵・建仁寺の三題噺でした。


この茶室は、数奇な歴史をもつ。元和4年(1618)ころ、かの有名な織田有楽斎(信長の弟)が、隠棲の地とした正伝院に、書院とともに建てたものである。明治になって「廃仏毀釈」が荒れ狂う中、正伝院は廃寺となった永源庵(同じ建仁寺塔頭)跡地に移転することを余儀なくされた。

明治末には、如庵・書院ともに東京に移転することとなる。何度も移築されたのち、昭和47年(1972)に名古屋鉄道の所有となり、有楽斎生まれ故郷尾張の地に安住の地を得たのである。犬山城の東隣、名鉄ホテルの敷地内に「有楽苑」として整備されている。
寛政11年(1799)ころに描かれた「都林泉名勝図会」を見ると、書院と茶室やその前庭などの様子がよく分かる。有楽苑の造りは、この古図にかなり忠実だと思う。一方、元々の由来をもつ正伝永源院では、平成8年に如庵を復元整備したのである。有楽斎・如庵・建仁寺の三題噺でした。


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