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南木曽 福沢桃介記念館
桃介橋中央の石段を下りると、そこは河川敷公園になっている。橋を渡りきった木曽川右岸一帯は天白公園と呼び、ステージやイベント広場、ミツバツツジの大群落や木曽川を一望できる展望台などがある。その一角に、「福沢桃介記念館」 が建てられている。

この建物は、桃介のかつての別荘である。木曽川の電源開発に乗り出した電力王・桃介は、大正8年に別荘を建て、そこを基地として 「読書発電所」 や 「大井ダム」 などの建設現場に足を運んだのである。
レンガ造りにモルタル仕上げの二階建て、マントルピースを備えた本格的な西洋建築である。この別荘には、桃介のパートナーである川上貞奴も足繁く逗留したという

福沢桃介は、明治元年埼玉県の生まれ、慶応義塾時代に福沢諭吉に認められて養子となる。その後、名古屋を中心に実業界で活躍し、電気事業も手掛けるようになった。
桃介は、昭和13年に69才で亡くなったが、その後、この別荘も付属の建物は取り壊された。本館も昭和35年に出火して2階を失い、一階部分だけを記念館としていたが、平成9年に元のように復元して一般に公開している。


この建物は、桃介のかつての別荘である。木曽川の電源開発に乗り出した電力王・桃介は、大正8年に別荘を建て、そこを基地として 「読書発電所」 や 「大井ダム」 などの建設現場に足を運んだのである。
レンガ造りにモルタル仕上げの二階建て、マントルピースを備えた本格的な西洋建築である。この別荘には、桃介のパートナーである川上貞奴も足繁く逗留したという

福沢桃介は、明治元年埼玉県の生まれ、慶応義塾時代に福沢諭吉に認められて養子となる。その後、名古屋を中心に実業界で活躍し、電気事業も手掛けるようになった。
桃介は、昭和13年に69才で亡くなったが、その後、この別荘も付属の建物は取り壊された。本館も昭和35年に出火して2階を失い、一階部分だけを記念館としていたが、平成9年に元のように復元して一般に公開している。

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