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岩倉市史跡公園の建物
岩倉駅から西へ、自転車で10分ほど走ったところに「大地遺跡」があり、史跡公園として整備されている。ここには、興味深い2つの建物がある。一つは「竪穴住居址」、昭和26年の発掘調査により、この地で発見されたものである。地表より約1m下の砂層の地盤に、住居址の窪みがあった。(上屋は復元)
規模は、東西約7m、南北約4mの長方形で、角はややまるくなっている。床面は、地盤より20~30cm低い位置にあり、平坦に踏み固められていた。東面の南に寄った所に入口があり、奥に炉があったと考えられている。普通の竪穴住居の柱は4本であるが、この住居には6本あり、2つの部屋に分かれていた点に特色がある。その後建てられるようになった農家の源流を示している。

竪穴住居の隣に、もう少し大きな「鳥居建民家」が建っている。この建物は、昭和30年の調査により東町で発見されたものを、この公園に移築したものである。この地方の農家は、いわゆる「田の字型」と呼ばれる四間取りのものが多いが、この建物はその前身の3間取りになっている。
田の字での大黒柱に代って主柱が2本あり、柱に梁が架かる姿が神社の鳥居に似ることから「鳥居建民家」と呼ばれている。この構造は、遠く室町時代における農家の形式を残したものであり、極めて貴重な文化財といわれている。

規模は、東西約7m、南北約4mの長方形で、角はややまるくなっている。床面は、地盤より20~30cm低い位置にあり、平坦に踏み固められていた。東面の南に寄った所に入口があり、奥に炉があったと考えられている。普通の竪穴住居の柱は4本であるが、この住居には6本あり、2つの部屋に分かれていた点に特色がある。その後建てられるようになった農家の源流を示している。

竪穴住居の隣に、もう少し大きな「鳥居建民家」が建っている。この建物は、昭和30年の調査により東町で発見されたものを、この公園に移築したものである。この地方の農家は、いわゆる「田の字型」と呼ばれる四間取りのものが多いが、この建物はその前身の3間取りになっている。
田の字での大黒柱に代って主柱が2本あり、柱に梁が架かる姿が神社の鳥居に似ることから「鳥居建民家」と呼ばれている。この構造は、遠く室町時代における農家の形式を残したものであり、極めて貴重な文化財といわれている。

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