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東海市「岩屋口古墳」
名鉄河和線・高横須賀駅から南東へ300mほど行った所に、知多半島では最大規模の横穴式石室をもつ古墳がある。「岩屋口古墳」という。伊勢湾を見下ろす小高い丘陵の上に築かれている。葬られた後も、自分の町や海を見たかったのであろう。説明板には、海抜26.9mと記してあった。
この古墳は、かつては遠くからも分かるような大きな墳丘があったという。いつしか土砂崩れなどにより土盛が失われ、石室が露出してしまった。江戸時代には盗掘に遭い、天井石なども無くなったため側壁も内側に傾いていた。

平成25年になって、崩れた石積みを積み直すとともに、失われた天井石を復元する作業が実施された。説明版には、平面図・立面図が掲げられている。長さ8.4m、幅1.7m、高さ2.1mで奥の壁は高さ1.6mもの巨石である。どのようにしてこの丘の上に運び上げたのであろう。
盗掘されているので副葬品の全容は明らかではないが、土師器や須恵器、刀子(とうす)や馬具などが残されていて、市立郷土資料館に保管されているという。築かれたのは6世紀末から7世紀初頭と考えられており、巨石や副葬品からかなり大きな勢力をもつ族長の墓であったと考えられている。

この古墳は、かつては遠くからも分かるような大きな墳丘があったという。いつしか土砂崩れなどにより土盛が失われ、石室が露出してしまった。江戸時代には盗掘に遭い、天井石なども無くなったため側壁も内側に傾いていた。

平成25年になって、崩れた石積みを積み直すとともに、失われた天井石を復元する作業が実施された。説明版には、平面図・立面図が掲げられている。長さ8.4m、幅1.7m、高さ2.1mで奥の壁は高さ1.6mもの巨石である。どのようにしてこの丘の上に運び上げたのであろう。
盗掘されているので副葬品の全容は明らかではないが、土師器や須恵器、刀子(とうす)や馬具などが残されていて、市立郷土資料館に保管されているという。築かれたのは6世紀末から7世紀初頭と考えられており、巨石や副葬品からかなり大きな勢力をもつ族長の墓であったと考えられている。

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