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「息速別命墓」と「城之越遺跡」
伊賀上野市の南部、伊賀神戸近くの2つの遺跡を見た。「息速別命(いこはやわけのみこと)の墓」と「城之越(じょのこし)遺跡」である。地形的には、いずれも丘陵地に近い水田の中にある。場所を探すのは一苦労だったが、田の中にこんもりとした森が見えたので、それと知ることができた。
息速別命は、第11代垂仁天皇の皇子で阿保親王とも呼ばれていた。墳墓の周りには、水田との間に跨げるほどの幅の水路がある。形は正方形、航空写真で見ても「方墳」であろうと思われる。築造されたのは5世紀末から6世紀初頭と考えられている。宮内庁所管との看板が立っていた。

城之越遺跡は、古墳時代前期(4世紀後半)のものとされる「大溝」や「四面庇付大型掘立柱建物」4棟が確認されている。出土遺物としては、多量の土器・木製品・植物遺体が見つかっている。土器では須恵器や韓式系土器、木製品は飾弓・刀形などの祭祀具、植物では桃や瓢箪が検出された。
「大溝」は、3か所の井泉からの湧水を引いた流路であり、法面には貼石が施されている。合流部には立石を配し、溝に下りるための階段が設けられている。中央部に楕円形の広場があり、祭祀の行われた場所と推定される。日本庭園の原型とも考えられており、国指定の名勝・史跡になっている。


息速別命は、第11代垂仁天皇の皇子で阿保親王とも呼ばれていた。墳墓の周りには、水田との間に跨げるほどの幅の水路がある。形は正方形、航空写真で見ても「方墳」であろうと思われる。築造されたのは5世紀末から6世紀初頭と考えられている。宮内庁所管との看板が立っていた。

城之越遺跡は、古墳時代前期(4世紀後半)のものとされる「大溝」や「四面庇付大型掘立柱建物」4棟が確認されている。出土遺物としては、多量の土器・木製品・植物遺体が見つかっている。土器では須恵器や韓式系土器、木製品は飾弓・刀形などの祭祀具、植物では桃や瓢箪が検出された。
「大溝」は、3か所の井泉からの湧水を引いた流路であり、法面には貼石が施されている。合流部には立石を配し、溝に下りるための階段が設けられている。中央部に楕円形の広場があり、祭祀の行われた場所と推定される。日本庭園の原型とも考えられており、国指定の名勝・史跡になっている。


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