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閑話「古墳」その1
最近、3つの古墳を見たので、いったい古墳はいくつあるのだろうかと調べてみた。ネット情報によれば、その総数は16万基を超えるという。その中で、皇室に関係するものを「陵墓」といい約900基ある。「陵(みささぎ)」は歴代の天皇・皇后たちの、「墓(はか)」はその他の皇族のものである。
先日ご紹介した東海市の「岩屋口古墳」や伊賀上野の「辻堂古墳」は、それぞれの地域を治めた族長のもの。伊賀神戸の「息速別命墓」は皇室関係のもの、垂仁天皇の皇子なので「墓」となっている。正面の鳥居の横に、墓の名前と宮内庁管理であることを示す看板が立っていた。

かつて京都盆地の東隣、山科を歩いたことがある。琵琶湖疏水の流れる山裾に天智天皇の「陵」があった。天智天皇は中大兄皇子のとき、中臣鎌足とともに曽我氏を滅ぼして、大化の改新のきっかけをつくった天皇である。唐や新羅に対する「白村江(はくすきのえ)の戦い」を主導し、後に滋賀・大津の宮に遷都した。大津に近い山科に葬られたのも、うなずけることである。石段の上の礼拝所に石柱があり、「天智天皇山科陵」と刻まれている。

16万基の古墳を県別に見てみよう。①トップは兵庫県で約1万9000基が発見されている。②続いて鳥取県が1万3500基、③京都府が1万基と続く。10位までを福岡、瀬戸内沿岸、畿内の各県が占めている。⑪三重県が約7000基、⑫岐阜県が約5000基、⑰愛知県は約3000基で17位である。北海道と青森県、沖縄県ではひとつも発見されていない。
全国の神社の数が約9万か所、お寺が8万か所、合わせて17万か所。これと比べても、古墳の多さに驚いてしまう。
先日ご紹介した東海市の「岩屋口古墳」や伊賀上野の「辻堂古墳」は、それぞれの地域を治めた族長のもの。伊賀神戸の「息速別命墓」は皇室関係のもの、垂仁天皇の皇子なので「墓」となっている。正面の鳥居の横に、墓の名前と宮内庁管理であることを示す看板が立っていた。

かつて京都盆地の東隣、山科を歩いたことがある。琵琶湖疏水の流れる山裾に天智天皇の「陵」があった。天智天皇は中大兄皇子のとき、中臣鎌足とともに曽我氏を滅ぼして、大化の改新のきっかけをつくった天皇である。唐や新羅に対する「白村江(はくすきのえ)の戦い」を主導し、後に滋賀・大津の宮に遷都した。大津に近い山科に葬られたのも、うなずけることである。石段の上の礼拝所に石柱があり、「天智天皇山科陵」と刻まれている。

16万基の古墳を県別に見てみよう。①トップは兵庫県で約1万9000基が発見されている。②続いて鳥取県が1万3500基、③京都府が1万基と続く。10位までを福岡、瀬戸内沿岸、畿内の各県が占めている。⑪三重県が約7000基、⑫岐阜県が約5000基、⑰愛知県は約3000基で17位である。北海道と青森県、沖縄県ではひとつも発見されていない。
全国の神社の数が約9万か所、お寺が8万か所、合わせて17万か所。これと比べても、古墳の多さに驚いてしまう。
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