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高浜市「森前公園(瓦庭)」と「渡船場跡」
衣浦大橋を渡りきったすぐの所に、高浜市の「森前公園」がある。この公園は、高浜市の地場産業「瓦」をモチーフにした公園で「瓦庭(がてい)」と称されている。園内の舗装・噴水・モニュメントなど全てに瓦がふんだんに使われている。色は黒一色だがガウディ―のデザインに似たところがある。
公園の隣に「高浜市やきものの里かわら美術館」という長い名の美術館がある。高浜は、日本一の生産を誇る「三州瓦」の中心地である。その歴史は古く、享保年間(300年前)に始まり、大火の後の江戸での需要が増えたことで大発展した。亀崎の湊などから船で出荷したのであろう。

公園の一角に「森前渡船場跡」の石碑が建っている。かつてはこのあたりまでが海で、亀崎まで往復する渡し船の湊になっていた。その起源は明らかではないが、江戸時代、刈谷藩は重要視して「浦役」を庄屋に命じ、船の出入りを取り締まったという。
昭和31年の衣浦大橋開通に伴い、渡し船の役割を終え湊は廃止になった。亀崎側でも同じで、神前(かみさき)神社の近くに常夜灯が残っているだけである。「亀崎渡船場跡」については、2013年4月16日の「衣浦大橋」の項でご紹介していますのでご覧下さい。
公園の隣に「高浜市やきものの里かわら美術館」という長い名の美術館がある。高浜は、日本一の生産を誇る「三州瓦」の中心地である。その歴史は古く、享保年間(300年前)に始まり、大火の後の江戸での需要が増えたことで大発展した。亀崎の湊などから船で出荷したのであろう。

公園の一角に「森前渡船場跡」の石碑が建っている。かつてはこのあたりまでが海で、亀崎まで往復する渡し船の湊になっていた。その起源は明らかではないが、江戸時代、刈谷藩は重要視して「浦役」を庄屋に命じ、船の出入りを取り締まったという。
昭和31年の衣浦大橋開通に伴い、渡し船の役割を終え湊は廃止になった。亀崎側でも同じで、神前(かみさき)神社の近くに常夜灯が残っているだけである。「亀崎渡船場跡」については、2013年4月16日の「衣浦大橋」の項でご紹介していますのでご覧下さい。
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