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半田市亀崎の「鬼門地蔵」その2
亀崎の海岸沿いには、波打ち際から直接石垣を築き、その上に建てた家が数多く見られた。残念ながら、昭和34年の伊勢湾台風により、それらの多くの家が波にさらわれてしまった。ただ幸いだったのは、消防団の強い警告の結果、ほとんどの人々が高台に逃れて死者を一人も出さなかったことである。

私の友人もその一人であるが、家財道具一切何も持ち出すいとまがなく、唯一買ったばかりのテレビだけを抱えて非難したという。このような危機意識が醸成されたのは、前年に床下までの浸水をもたらした「13号台風」の経験だったかもしれない。

厳しい荒海に小船で乗り出す漁師の危険や、台風などの自然災害と向き合う中で、祈りの心が生まれたものと思われる。毎年5月3日・4日に開催される「潮干祭り」には、多大な費用と労力が必要とされる。亀崎は、祭りにしろ地蔵にしろ、強い祈りの気持ちをもつ土地柄なのであろう。
板壁に「舟板」を使った家は、大通りと「せこ」の角の壁に地蔵を嵌めこんでいた。東北角は、多くの家にとって裏側である。勝手口やガスのメーターなど雑然としたところに祠が造られている。軽自動車も通行不可能な「せこ」から、遠くに海が見える。新旧2体の地蔵は、祖父の代に「一人では寂しかろうと」一体増やしたのだという。友人の話しでは、今後も調査を続けていくという。

私の友人もその一人であるが、家財道具一切何も持ち出すいとまがなく、唯一買ったばかりのテレビだけを抱えて非難したという。このような危機意識が醸成されたのは、前年に床下までの浸水をもたらした「13号台風」の経験だったかもしれない。

厳しい荒海に小船で乗り出す漁師の危険や、台風などの自然災害と向き合う中で、祈りの心が生まれたものと思われる。毎年5月3日・4日に開催される「潮干祭り」には、多大な費用と労力が必要とされる。亀崎は、祭りにしろ地蔵にしろ、強い祈りの気持ちをもつ土地柄なのであろう。
板壁に「舟板」を使った家は、大通りと「せこ」の角の壁に地蔵を嵌めこんでいた。東北角は、多くの家にとって裏側である。勝手口やガスのメーターなど雑然としたところに祠が造られている。軽自動車も通行不可能な「せこ」から、遠くに海が見える。新旧2体の地蔵は、祖父の代に「一人では寂しかろうと」一体増やしたのだという。友人の話しでは、今後も調査を続けていくという。
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