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名鉄三河線の廃線敷きと西中金駅
名鉄三河線は、旧三河鉄道(株)により、大正3年(1914)に南部の刈谷から碧南市大浜まで開通したのが皮切りである。その後、北部へ延伸され、豊田市猿投まで完成したのは大正13年のことであった。さらに、足助までの延長計画が樹立され、西中金までは昭和2年に開通した。
時は流れ、昭和40年代になりモータリゼーション(死語?)の時代になると、鉄道利用者の減少が始まった。猿投から西中金までは昭和60年からレールバスに変り、平成16年には営業廃止になってしまった。現在は代替の路線バスが走っている。

廃線敷きは、今もレールが敷かれたまま残っている。架線は外されているが、鉄骨の電柱は立ったままである。枕木はないが砕石はそのままで、散歩道として使われている。民家の軒先をかすめながら走っていた三河線の、在りし日の姿を彷彿とさせる景色である。
終点駅の「西中金駅」の駅舎は、昭和5年建設の切妻屋根木造建築である。平成26年の歩道拡幅工事に伴い2mほど曳家されたが、その際に腐食が激しい材木の取り替えなどの修復が施された。花崗岩の切り石が積まれたプラットホームや線路敷きとともに、国の登録文化財に指定されて保存されている

時は流れ、昭和40年代になりモータリゼーション(死語?)の時代になると、鉄道利用者の減少が始まった。猿投から西中金までは昭和60年からレールバスに変り、平成16年には営業廃止になってしまった。現在は代替の路線バスが走っている。

廃線敷きは、今もレールが敷かれたまま残っている。架線は外されているが、鉄骨の電柱は立ったままである。枕木はないが砕石はそのままで、散歩道として使われている。民家の軒先をかすめながら走っていた三河線の、在りし日の姿を彷彿とさせる景色である。
終点駅の「西中金駅」の駅舎は、昭和5年建設の切妻屋根木造建築である。平成26年の歩道拡幅工事に伴い2mほど曳家されたが、その際に腐食が激しい材木の取り替えなどの修復が施された。花崗岩の切り石が積まれたプラットホームや線路敷きとともに、国の登録文化財に指定されて保存されている

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