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明治川神社と永安寺「雲竜の松」
国道1号、名鉄新安城駅の北に、功績のあった偉人を祀る、由緒ある神社とお寺がある。
「明治川神社」は、明治用水の通水を祝って創建された神社である。この用水は水不足に悩む碧海台地の人々が、江戸時代より望んだ開発であるが、完成したのは明治13年(1880)になってからである。
明治用水については、2016年7月27日から3回に亘って、このブログで取り上げているのでご覧いただきたい。明治川神社は「大水上祖神(みくまりのおやのかみ)」始め三柱の水に由縁の深い神々を祀るとともに、明治用水開発に功績のあった4人の偉人を合祀している。

永安寺は、山門と本堂に加えて、門の前に地蔵堂があるのみの小さなお寺である。その由来書によると、江戸初期のころ刈谷藩から村に対し、宿場へ人馬を提供する「助郷役」が命じられた。庄屋は、村の窮状を訴えて免除を願い出た。宝永5年(1677)、彼は直訴の罪で死罪を賜ったという。
しかし願いは届けられ、村の助郷役は免除になった。村人たちは庄屋に感謝し、彼の旧宅に草庵を建立したが、後にお寺として整えられた。目を見張るのは境内いっぱいに広がった松である。高さは低く3方へ長い枝が伸びている。根元の幹は太く地を這っているため風に強く、350年も生き延びている。

「明治川神社」は、明治用水の通水を祝って創建された神社である。この用水は水不足に悩む碧海台地の人々が、江戸時代より望んだ開発であるが、完成したのは明治13年(1880)になってからである。
明治用水については、2016年7月27日から3回に亘って、このブログで取り上げているのでご覧いただきたい。明治川神社は「大水上祖神(みくまりのおやのかみ)」始め三柱の水に由縁の深い神々を祀るとともに、明治用水開発に功績のあった4人の偉人を合祀している。

永安寺は、山門と本堂に加えて、門の前に地蔵堂があるのみの小さなお寺である。その由来書によると、江戸初期のころ刈谷藩から村に対し、宿場へ人馬を提供する「助郷役」が命じられた。庄屋は、村の窮状を訴えて免除を願い出た。宝永5年(1677)、彼は直訴の罪で死罪を賜ったという。
しかし願いは届けられ、村の助郷役は免除になった。村人たちは庄屋に感謝し、彼の旧宅に草庵を建立したが、後にお寺として整えられた。目を見張るのは境内いっぱいに広がった松である。高さは低く3方へ長い枝が伸びている。根元の幹は太く地を這っているため風に強く、350年も生き延びている。

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