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安祥城址と歴史博物館
安祥城の築城の年代は古く、室町時代の永享年間(1429~1441)ごろと考えられている。碧海台地東縁部の半島状の高台に位置していて、周りを湿田に囲まれた天然の要害である。戦国時代には松平氏の居城となり、織田氏との間で数度の攻防があったと伝えられている。
その後、松平氏の本拠は岡崎に移され、江戸時代は廃城となり畑になっていたという。寛政4年(1792)に了雲院(大乗寺)が移転してきて現在に至っている。城跡全体は現在、安祥城址公園として一般に開放されている。お堀だったかつての地形を生かして、起伏や池のある景観を造っている。

公園に隣接して、安城市の公民館、歴史博物館、埋蔵文化財センター、市民ギャラリーが設置されている。安城市内には約250か所もの遺跡が知られていて、開発行為などにともなって発掘調査が行われる。出土した遺物は埋蔵文化財センターに保存され、研究・展示が行われる。
歴史博物館は、矢作川流域の政治・経済・文化に関する資料を展示している。展示室中央に飾られる「人面文壺形土器」は、市内で出土した弥生時代終末期の焼き物である。中央に入れ墨のある人の顔が描かれているが、これほどはっきりとしたものは全国にも例がなく、国の重要文化財に指定されている。
その後、松平氏の本拠は岡崎に移され、江戸時代は廃城となり畑になっていたという。寛政4年(1792)に了雲院(大乗寺)が移転してきて現在に至っている。城跡全体は現在、安祥城址公園として一般に開放されている。お堀だったかつての地形を生かして、起伏や池のある景観を造っている。

公園に隣接して、安城市の公民館、歴史博物館、埋蔵文化財センター、市民ギャラリーが設置されている。安城市内には約250か所もの遺跡が知られていて、開発行為などにともなって発掘調査が行われる。出土した遺物は埋蔵文化財センターに保存され、研究・展示が行われる。
歴史博物館は、矢作川流域の政治・経済・文化に関する資料を展示している。展示室中央に飾られる「人面文壺形土器」は、市内で出土した弥生時代終末期の焼き物である。中央に入れ墨のある人の顔が描かれているが、これほどはっきりとしたものは全国にも例がなく、国の重要文化財に指定されている。
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