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名古屋城の三の丸庭園
名古屋城の三の丸には、県庁や市役所、国の機関など、いわゆる官庁が集積している。「官庁街」と称する。その南東角、外堀が直角に曲がる所に名古屋市公館があり、その南に日本庭園がある。「三の丸庭園」という。
名古屋市の迎賓館である公館の南から石畳(延段)があり、鄙びた枝折戸を潜ると古式豊かな庭園が広がっている。土塁の上の鬱蒼とした森に包まれているので、気付く人も少なく訪れる人数も多くない。隠れた名園と言えるかも知れない。

ルーツを辿ると、明治時代に設置されていた陸軍将校のクラブ「偕行社」の前庭だったという。茶道の宗匠が設計し、地元の造園家が施工したものである。手前には大きな平石を使用した飛び石があり、枯山水の池の奥には滝石組みが配されている。石橋や築山にも巨石が使用されている、
しかし、それらの豪壮な庭石を見ると、名古屋城二の丸庭園の古図に描かれたものと一致するものがある。特に舟形の石は、間違いなく二の丸庭園のものだろうと考えられている。二の丸跡(今は県体育館)には陸軍第六連隊の兵舎があった。連隊の将校たちが、二の丸庭園を壊したのである。

名古屋市の迎賓館である公館の南から石畳(延段)があり、鄙びた枝折戸を潜ると古式豊かな庭園が広がっている。土塁の上の鬱蒼とした森に包まれているので、気付く人も少なく訪れる人数も多くない。隠れた名園と言えるかも知れない。

ルーツを辿ると、明治時代に設置されていた陸軍将校のクラブ「偕行社」の前庭だったという。茶道の宗匠が設計し、地元の造園家が施工したものである。手前には大きな平石を使用した飛び石があり、枯山水の池の奥には滝石組みが配されている。石橋や築山にも巨石が使用されている、
しかし、それらの豪壮な庭石を見ると、名古屋城二の丸庭園の古図に描かれたものと一致するものがある。特に舟形の石は、間違いなく二の丸庭園のものだろうと考えられている。二の丸跡(今は県体育館)には陸軍第六連隊の兵舎があった。連隊の将校たちが、二の丸庭園を壊したのである。

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