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能登西海岸 滝ノ澗の石積み
福浦灯台を見たあとで海岸に沿って走っていると、家々の隙間から不思議な景色が見える。豪壮な住宅 (別荘?) の石垣が、とても美しいのだ。近寄って見ようと思うのだが、細い道が迷路のようになっているので、到着するのにかなりの時間がかかった。

六角形の白い切石が、目地の隙間に剃刀の刃も入らぬほどの精緻さで積み上げられている。さらに、少し膨らみのある “おもて面” が、何ともいえない優しい雰囲気を醸し出しているのだ。石の一つに、制作の年月と石工の名前が掘り込んである。よほど精魂込めて造ったのであろうし、また誇りにも思っているのであろう。

石積みの上、住宅の庭と思しき広場に立派な石碑が立っていて、この石垣建設の由来が記してある。それによると 「滝ノ澗・玉藻前」 との表題があり、以下次のような文章である。「明治のはじめ、帆船で遠く樺太島へ航行、サケ・マス漁場を開拓した二津屋水野彌平が、明治・大正の二代にわたって築いた石垣から海を眺める・・・」
ちなみに、この石積みのことは、観光案内書にも記載が無く、帰ってからネットで調べても見当たらなかった。


六角形の白い切石が、目地の隙間に剃刀の刃も入らぬほどの精緻さで積み上げられている。さらに、少し膨らみのある “おもて面” が、何ともいえない優しい雰囲気を醸し出しているのだ。石の一つに、制作の年月と石工の名前が掘り込んである。よほど精魂込めて造ったのであろうし、また誇りにも思っているのであろう。

石積みの上、住宅の庭と思しき広場に立派な石碑が立っていて、この石垣建設の由来が記してある。それによると 「滝ノ澗・玉藻前」 との表題があり、以下次のような文章である。「明治のはじめ、帆船で遠く樺太島へ航行、サケ・マス漁場を開拓した二津屋水野彌平が、明治・大正の二代にわたって築いた石垣から海を眺める・・・」
ちなみに、この石積みのことは、観光案内書にも記載が無く、帰ってからネットで調べても見当たらなかった。

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