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薩摩藩主の庭園(仙巌園)
屋久島へ渡る船の出航まで時間があったので、仙巌園(せんがんえん=磯庭園ともいう)へ行くことにした。薩摩藩主・島津家の元別邸である。万治元年(1658)に第19代当主島津光久によって造園され、歴代当主により改造が繰り返されて今日に至っている。
この庭園のスケールは壮大である。敷地も広く、後背地の山々も借景の一部であるが、それよりなにより、桜島が築山であり鹿児島湾が池であるというのだ。実際に薩摩藩主は、屋敷や庭園から桜島の噴煙を眺めていたのであろう。

園内に曲がりくねった細流れがある。ここでは毎年,3月3日の上巳の節句(桃の節句)に「曲水の宴」が開かれる。この行事は、上流から杯が流れてきて自分のところに辿り着く前に、1首の和歌を詠みあげるというものである。平安貴族から伝わる優雅な遊びである。
竹林の看板には「江南竹林」とあり、元文元年(1736)に琉球王国より取り寄せた孟宗竹であると説明されている。ここから全国に広まったという。庭園の隣にある「尚古集成館」は日本初のアーチ式・石造の西欧建築である。島津家に関する史料や薩摩切子・陶器などが展示されている。

この庭園のスケールは壮大である。敷地も広く、後背地の山々も借景の一部であるが、それよりなにより、桜島が築山であり鹿児島湾が池であるというのだ。実際に薩摩藩主は、屋敷や庭園から桜島の噴煙を眺めていたのであろう。

園内に曲がりくねった細流れがある。ここでは毎年,3月3日の上巳の節句(桃の節句)に「曲水の宴」が開かれる。この行事は、上流から杯が流れてきて自分のところに辿り着く前に、1首の和歌を詠みあげるというものである。平安貴族から伝わる優雅な遊びである。
竹林の看板には「江南竹林」とあり、元文元年(1736)に琉球王国より取り寄せた孟宗竹であると説明されている。ここから全国に広まったという。庭園の隣にある「尚古集成館」は日本初のアーチ式・石造の西欧建築である。島津家に関する史料や薩摩切子・陶器などが展示されている。

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