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大宰府天満宮の「くすかき」
醍醐天皇の昌泰4年(901)、右大臣であった菅原道真は、左大臣・藤原時平らの陰謀により筑紫の国・大宰府に左遷させられた。そして、2年後にこの地で死去したのである。すると都では疫病や異常気象など不吉な出来事が相次ぐようになった。
6年後には、当の時平が死去するに至り “道真の祟り” と恐れられるようになった。天皇は大宰府に勅使を送り、道真の墓所に社殿を造営した。これが大宰府天満宮の創祀である。今、世界中が疫病に喘いでいるが、これは何の祟りだろう。人間の驕りが自然環境を “左遷” したからではないのか?

社殿の向って右脇には梅の木が植えられ、「飛梅」との銘板が添えられている。道真を慕って、都から “梅の木が飛んで来た” という伝説の木である。元旦にご紹介した丑の像も置かれていた。境内は鬱蒼とした森に包まれているが、特にクスノキの巨木が目立つ。
特に大きなクスノキの下に面白いものを見つけた。クスノキの枯れ葉が掃き集められ、山のように積まれているのだ。看板が立てられていて「くすかき」とあり、“・・・千年樟のその場所で 千年分を掻いてみる・・・”と詩が記されている。時は5月、常緑樹のクスノキは新葉が展開すると、前年の古葉を落とすのである。

◆ “ふとした自然のうつくしさ” には、心を癒されます。そんな自然を 「季節通信」 として発信してい
ます。これまでに100回掲載しました。カテゴリーの目次12から検索してください。◆
◆「墨入れ」の写真は、我家を建ててくれた大工さんにお借りしました。日本人は「2点の最短距離
は直線である」という数学の公式を、古い時代から知っていたのです。◆
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特に大きなクスノキの下に面白いものを見つけた。クスノキの枯れ葉が掃き集められ、山のように積まれているのだ。看板が立てられていて「くすかき」とあり、“・・・千年樟のその場所で 千年分を掻いてみる・・・”と詩が記されている。時は5月、常緑樹のクスノキは新葉が展開すると、前年の古葉を落とすのである。

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