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柳川のクリーク
佐賀平野は、九州最大の平野である、筑後川が運んできた土砂が大きな三角州をつくった。連なる有明海は遠浅で、干潟で有名である。堰き止めて海水をかい出せばすぐに干拓地ができる地形である。揚子江流域から渡って来た弥生の民は、絶好の移民地と思ったことだろう。
佐賀平野には、今も、網の目のようにクリークが走っている。クリークは、揚子江下流域の生産文化である(2020・01・30の「三角州のクリーク」参照)。日本海を渡って来たボートピープル・弥生の農民は佐賀平野に辿り着き、運河を穿って水田を広げていったのだろう。クリークは交通運輸から水の補給まで、最大のインフラである。

柳川は佐賀県だと思っていた。それは間違いで,矢部川を境に福岡県に属すのである。柳川城の掘割を巡る柳川舟下りでは、クリークの風景を味わうことができる。使用する舟はドンコ舟という独特のもので、かつては水田作業に使われていた。生活のために川面に降りる階段が、そこここにある。
「御花」と称する料亭があった。柳川藩主の歴史を伝える国指定名勝「立花氏庭園」である。現在は当時の姿そのままに、食事や宿泊ができる料理旅館になっている。
この地で生まれた北原白秋は、『水郷柳川』の随想の中で、“あの眼の光るのは 星か、蛍か、鵜の鳥か 蛍ならばお手にとろ お星様なら拝みませう”と詠っている。

佐賀平野には、今も、網の目のようにクリークが走っている。クリークは、揚子江下流域の生産文化である(2020・01・30の「三角州のクリーク」参照)。日本海を渡って来たボートピープル・弥生の農民は佐賀平野に辿り着き、運河を穿って水田を広げていったのだろう。クリークは交通運輸から水の補給まで、最大のインフラである。

柳川は佐賀県だと思っていた。それは間違いで,矢部川を境に福岡県に属すのである。柳川城の掘割を巡る柳川舟下りでは、クリークの風景を味わうことができる。使用する舟はドンコ舟という独特のもので、かつては水田作業に使われていた。生活のために川面に降りる階段が、そこここにある。
「御花」と称する料亭があった。柳川藩主の歴史を伝える国指定名勝「立花氏庭園」である。現在は当時の姿そのままに、食事や宿泊ができる料理旅館になっている。
この地で生まれた北原白秋は、『水郷柳川』の随想の中で、“あの眼の光るのは 星か、蛍か、鵜の鳥か 蛍ならばお手にとろ お星様なら拝みませう”と詠っている。

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