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名古屋市東区 旧川上貞奴邸
電力王・福沢桃介のパートナーとして、また自らも事業家として活躍した川上貞奴が、大正9年ごろから暮らした邸宅。当時は 「二葉御殿」 とも呼ばれ、名古屋の財界人や文化人のサロン的存在であった。元々は、現在地よりもう少し北側に建っていたが、平成17年に現在地に移設・復元され、近代文化の情報発信拠点 「文化のみち・二葉館」 として活用されている。

川上貞奴は、明治4年 (1871) 東京日本橋の生まれ、16歳で芸妓となり伊藤博文などの贔屓を得た。23歳で “オッペケペー節” で有名な演劇家・川上音二郎と結婚。川上一座のアメリカ巡業では、日本初の女優として舞台に立った。明治33年のパリ万博では 「マダム貞奴」 として大いに人気を集めたという。音二郎の死後、桃介のパートナーとなり、名古屋で活躍したのである。
この建物は、我が国初の住宅専門会社 「あめりか屋」 の設計による。木造二階建て、朱色の瓦屋根にモルタル塗りの壁である。一階が食堂で二階が書斎となっている部分の “兜造り” 風の屋根がこの建物の個性を象徴している。室内も、ステンドグラスや螺旋階段を設置するなど、デザイン上の工夫が施されている。


川上貞奴は、明治4年 (1871) 東京日本橋の生まれ、16歳で芸妓となり伊藤博文などの贔屓を得た。23歳で “オッペケペー節” で有名な演劇家・川上音二郎と結婚。川上一座のアメリカ巡業では、日本初の女優として舞台に立った。明治33年のパリ万博では 「マダム貞奴」 として大いに人気を集めたという。音二郎の死後、桃介のパートナーとなり、名古屋で活躍したのである。
この建物は、我が国初の住宅専門会社 「あめりか屋」 の設計による。木造二階建て、朱色の瓦屋根にモルタル塗りの壁である。一階が食堂で二階が書斎となっている部分の “兜造り” 風の屋根がこの建物の個性を象徴している。室内も、ステンドグラスや螺旋階段を設置するなど、デザイン上の工夫が施されている。

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