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名古屋城の「加藤清正像」
名古屋城も、熊本城に負けず劣らぬ美しい城である。石垣の武者返し (上に行くほど急こう配になる) は、敵を寄せ付けないための実用から造られたが、美観的にも優れている。名古屋城の普請は、多くの外様大名(20家)が命じられたが、天守閣の石垣は加藤清正がその任に当たったという。
天守閣東にある本丸搦手枡形の石垣の中に、たたみ十畳敷きもある巨大な石が嵌めこまれている。ここの分担(帳場割り)は黒田長政であるが、あまりに大きい石なので石積みの名手・加藤清正が運んだと言い伝えられていて、「清正石」 と呼ばれている。

普請の中心的な人物ということもあってか、城内2か所に清正の銅像が建っている。ひとつは二の丸庭園近く、大きな石の上で槍と扇を持った姿である。もう一つは正門前の広場、天守閣を背景に床几に座った像である。城内に掲げられている銅像はこの2体のみであることに、私は違和感を感じている。“なぜ清正なのだろう?”
城郭に設置される銅像は、築城した人や城主が普通であろう。名古屋城の築城を命じたのは徳川家康であり、初代藩主は家康の9男・義直である。三河の出の家康より、尾張中村出身の清正の方を “名古屋人” は好むのかもしれないが、歴史の事実は大切にしなければと、いつも思ってしまう。
◆追 記◆
豊臣秀吉の生誕地、中村区の中村公園・豊国神社東隣に 「妙行寺」 というお寺がある。山門の柱には、「加藤清正公誕生之霊地」と記した看板が設置されている。二人は近所に生まれた幼馴染であったのだ。このお寺の境内に、名古屋城正門前のものにそっくりな銅像が立っている。ここなら全く違和感はない。

天守閣東にある本丸搦手枡形の石垣の中に、たたみ十畳敷きもある巨大な石が嵌めこまれている。ここの分担(帳場割り)は黒田長政であるが、あまりに大きい石なので石積みの名手・加藤清正が運んだと言い伝えられていて、「清正石」 と呼ばれている。

普請の中心的な人物ということもあってか、城内2か所に清正の銅像が建っている。ひとつは二の丸庭園近く、大きな石の上で槍と扇を持った姿である。もう一つは正門前の広場、天守閣を背景に床几に座った像である。城内に掲げられている銅像はこの2体のみであることに、私は違和感を感じている。“なぜ清正なのだろう?”
城郭に設置される銅像は、築城した人や城主が普通であろう。名古屋城の築城を命じたのは徳川家康であり、初代藩主は家康の9男・義直である。三河の出の家康より、尾張中村出身の清正の方を “名古屋人” は好むのかもしれないが、歴史の事実は大切にしなければと、いつも思ってしまう。
◆追 記◆
豊臣秀吉の生誕地、中村区の中村公園・豊国神社東隣に 「妙行寺」 というお寺がある。山門の柱には、「加藤清正公誕生之霊地」と記した看板が設置されている。二人は近所に生まれた幼馴染であったのだ。このお寺の境内に、名古屋城正門前のものにそっくりな銅像が立っている。ここなら全く違和感はない。

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