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西区比良の「蛇池公園」
荒子の前田利家を掲載したからには、比良の佐々成政も語らねばならない。名古屋市西区、環状2号線の北に光通寺というお寺がある。この境内辺りに「比良城」があったといわれている。天文年間(1532~55)に佐々成政の父・佐々成宗が築いたという。成政はここで生まれた。
少年のころから信長に仕え、数々の戦いで手柄を立てて越中・富山の城主となった。富山に移った後に比良の城は廃城となったという。天正15年(1587)には、九州平定の功により肥後・熊本の城主となるが、国内一揆の平定に失敗し、秀吉の命により自害することとなる。

比良城跡の南一帯に、庄内川河川敷緑地や洗堰緑地など広大な公園が広がっている。その一角に「蛇池」があり、その名にまつわる古くからの伝説がある。この池に大蛇が住むという噂を聞いた信長が、その真偽を確かめようと水を掻い出したが、後から後から水が湧き出して空にすることができず、大蛇も見つからなかったという。
蛇池公園は、桜の名所である。平成12年の東海豪雨の後、河川改修のために、堤防に植えられていた桜全てが伐採されることとなったが、この公園に接する80本だけは残すことができた(2016・4・12の記事参照)。100年近い古木となったソメイヨシノであるが、土壌条件が良いため今も元気に花を咲かせている。
少年のころから信長に仕え、数々の戦いで手柄を立てて越中・富山の城主となった。富山に移った後に比良の城は廃城となったという。天正15年(1587)には、九州平定の功により肥後・熊本の城主となるが、国内一揆の平定に失敗し、秀吉の命により自害することとなる。

比良城跡の南一帯に、庄内川河川敷緑地や洗堰緑地など広大な公園が広がっている。その一角に「蛇池」があり、その名にまつわる古くからの伝説がある。この池に大蛇が住むという噂を聞いた信長が、その真偽を確かめようと水を掻い出したが、後から後から水が湧き出して空にすることができず、大蛇も見つからなかったという。
蛇池公園は、桜の名所である。平成12年の東海豪雨の後、河川改修のために、堤防に植えられていた桜全てが伐採されることとなったが、この公園に接する80本だけは残すことができた(2016・4・12の記事参照)。100年近い古木となったソメイヨシノであるが、土壌条件が良いため今も元気に花を咲かせている。
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