Entries
中村公園と豊国神社
明治16年3月、愛知県令(今の県知事)が、地元の人の案内で豊臣秀吉の旧跡地を訪ねた。藤吉郎生誕の地であるにも拘らず荒れ果ているのを見て、県令は秀吉の霊を慰めるため、新たに神社を建てることを思い立った。「徳川」の江戸時代には「豊臣」はタブーだったのだろう。
長い松並木を通って鳥居に至る。さらに参道の反り橋を渡った先に本殿がある。賽銭箱のある礼拝所の横に、秀吉の肖像画が掛けられており「祭神 豊臣秀吉公」との看板も添えられている。神社の名前も「豊国神社(とよくにじんじゃ)」という。

神社を取り囲む緑地一帯は、中村公園という都市公園になっている。明治34年の開園当初は愛知県営公園であったが、市域拡大により尾張・中村が名古屋市に編入されると、公園も名古屋市所管となった。大正11年のことである。
神社の東隣に竹藪があって、そこに石のモニュメントと石碑がある。石碑には「豊公誕生之地」と刻まれている。公園の一角に、水面に囲まれた小さな芝の丘があり、「日吉丸となかまたち」と銘打つ彫像がある。日吉丸が仲間たちと遊んだであろう群像を描いている。5人の中には隣で生まれた清正も含まれているかもしれない。(年齢差25歳なのでありえない)

長い松並木を通って鳥居に至る。さらに参道の反り橋を渡った先に本殿がある。賽銭箱のある礼拝所の横に、秀吉の肖像画が掛けられており「祭神 豊臣秀吉公」との看板も添えられている。神社の名前も「豊国神社(とよくにじんじゃ)」という。

神社を取り囲む緑地一帯は、中村公園という都市公園になっている。明治34年の開園当初は愛知県営公園であったが、市域拡大により尾張・中村が名古屋市に編入されると、公園も名古屋市所管となった。大正11年のことである。
神社の東隣に竹藪があって、そこに石のモニュメントと石碑がある。石碑には「豊公誕生之地」と刻まれている。公園の一角に、水面に囲まれた小さな芝の丘があり、「日吉丸となかまたち」と銘打つ彫像がある。日吉丸が仲間たちと遊んだであろう群像を描いている。5人の中には隣で生まれた清正も含まれているかもしれない。(年齢差25歳なのでありえない)

- 関連記事
-
- 平城宮の「東院庭園」 (2021/07/22)
- 中村公園と豊国神社 (2021/05/15)
- 西区比良の「蛇池公園」 (2021/05/11)
コメント
コメントの投稿
トラックバック
- トラックバック URL
- http://chubu-fukken.com/tb.php/762-b4ca735f
- この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)