Entries
常滑の「やきもの散歩道」
常滑は今でこそ「空港」の町だが、もともとは「焼き物」のまちである。しかし今でも、空港島対岸の丘の上を中心に、昔ながらの陶磁器産業が息づいている。坂道の多い「やきもの散歩道」の中ほどに「土管坂」がある。舗装材にも、土止めの擁壁にも焼き物が使われている。
坂を登っていくと、左側には大口径の土管が縦に並べられている。コンクリート製のヒューム管が一般的になるまでは、この土管が下水管に使われた。右側には「一斗甕?」が積まれている。江戸・明治の廻船業華やかなりし時代に、酒や醤油を江戸に運んだ甕であろう。(1斗は10升=18リットル)

焼き物の歴史を訪ねてみよう。縄文・弥生には「土器」があり、古墳時代には「土師器・須恵器」の時代になる。粘土の豊富な猿投山周辺に、大規模な陶器産業が発達する。東山古窯などに見る「灰釉陶器」である。猿投からさらに陶土を求めて、北は瀬戸や美濃へ行き、南へ行った陶工が常滑を見つけた。常滑焼は「無釉焼締陶」で、急須などに特色を見ることができる。

煉瓦を壁や煙突に積んだ窯が、レストランに利用されていた。お洒落なオープンカフェ。窯は「倒焔式角窯」という形式で、昭和33年(1958)に築造された。酒・酢・ソースのメーカー向けに大型陶器を焼いていたが、昭和47以来、使用中止になっている。新しいピザ窯が風景に馴染んでいる。

◆6月13日に75歳になります。いよいよ後期高齢者、車に枯葉マークを貼らなきゃ。
坂を登っていくと、左側には大口径の土管が縦に並べられている。コンクリート製のヒューム管が一般的になるまでは、この土管が下水管に使われた。右側には「一斗甕?」が積まれている。江戸・明治の廻船業華やかなりし時代に、酒や醤油を江戸に運んだ甕であろう。(1斗は10升=18リットル)

焼き物の歴史を訪ねてみよう。縄文・弥生には「土器」があり、古墳時代には「土師器・須恵器」の時代になる。粘土の豊富な猿投山周辺に、大規模な陶器産業が発達する。東山古窯などに見る「灰釉陶器」である。猿投からさらに陶土を求めて、北は瀬戸や美濃へ行き、南へ行った陶工が常滑を見つけた。常滑焼は「無釉焼締陶」で、急須などに特色を見ることができる。

煉瓦を壁や煙突に積んだ窯が、レストランに利用されていた。お洒落なオープンカフェ。窯は「倒焔式角窯」という形式で、昭和33年(1958)に築造された。酒・酢・ソースのメーカー向けに大型陶器を焼いていたが、昭和47以来、使用中止になっている。新しいピザ窯が風景に馴染んでいる。

◆6月13日に75歳になります。いよいよ後期高齢者、車に枯葉マークを貼らなきゃ。
- 関連記事
-
- 大曽根の商店街「OZモール」 (2021/07/06)
- 常滑の「やきもの散歩道」 (2021/05/27)
- 豊橋市「二川宿の枡形」 (2020/11/05)
コメント
コメントの投稿
トラックバック
- トラックバック URL
- http://chubu-fukken.com/tb.php/765-5f0ba693
- この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)