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岐阜市「加納城跡」
岐阜市というと、岐阜城を中心とした一つの町を思い浮かべるが、かつて加納町という町と合併してできた町である。加納は、中山道の宿場町で、加納城の城下町でもあった。今も宿場の面影が残り、お城は明治になって廃城となったが、わずかに石垣は残っている。
JR高山本線・岐阜駅の南側一帯が旧加納の町で、名鉄本線にも「加納駅」がある。中山道の宿場の様子や建築的に歴史的価値のある旧町役場については《2014年5月23日》のブログに掲載した。城跡の本丸跡の広場や石垣は国の史跡に指定され、公園として利用されている。

この地には古くからお城があったが、本格的に築城されたのは関ヶ原の戦いの後である。岐阜城を本拠とした織田氏(信長の孫)が追放され、城も廃城となった。その代わりとして慶長7年(1602)に加納城が築城され、家康の娘婿が入城した。その後城主は何家か変わったが、城は明治維新まで続いた。
城跡の一角に古風な門柱が残っている。表札を見ると「岐阜大学教育学部付属・岐阜市立加納小学校」と記してある。建設されたのは、明治30年ごろと考えられている。地元では「赤門」と呼ばれて親しまれており、平成7年に「岐阜の宝100選」に選ばれている。(写真は2014年に撮影)
JR高山本線・岐阜駅の南側一帯が旧加納の町で、名鉄本線にも「加納駅」がある。中山道の宿場の様子や建築的に歴史的価値のある旧町役場については《2014年5月23日》のブログに掲載した。城跡の本丸跡の広場や石垣は国の史跡に指定され、公園として利用されている。

この地には古くからお城があったが、本格的に築城されたのは関ヶ原の戦いの後である。岐阜城を本拠とした織田氏(信長の孫)が追放され、城も廃城となった。その代わりとして慶長7年(1602)に加納城が築城され、家康の娘婿が入城した。その後城主は何家か変わったが、城は明治維新まで続いた。
城跡の一角に古風な門柱が残っている。表札を見ると「岐阜大学教育学部付属・岐阜市立加納小学校」と記してある。建設されたのは、明治30年ごろと考えられている。地元では「赤門」と呼ばれて親しまれており、平成7年に「岐阜の宝100選」に選ばれている。(写真は2014年に撮影)
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