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知多市岡田の簡易郵便局と防空壕跡
岡田は曲がりくねった小道と坂の多い町である。木綿蔵の隣に、板張りの洋館がある。「知多岡田簡易郵便局」である。木造二階建て・寄棟屋根・桟瓦葺きで、明治35年(1902)に完成した。現在も使用されているが、瓦斯灯風の街路灯や赤い陶製のポストなど、往時の雰囲気を醸し出している。
この地に郵便局が初めて出来たのは明治32年のこと。その後、名称変更や移転廃止などを繰り返しながら、平成5年に「知多簡易郵便局」として復活した。簡易郵便局とは、郵政民営化以前に、窓口業務を団体あるいは個人に委託する局をいう。全国に約4000か所あるという。

坂道の石垣に不思議なものを見つけた。大口径のヒューム管のようだが、排水溝が道路に顔を見せるわけがない。説明の看板があって、戦時中の「防空壕」であることが分かった。昭和18年、本土空襲に備えて、地域住民が自ら掘った壕の入り口である。
当時は、2か所の口があって、U字型に繋がっていた。度々の名古屋空襲のときには、多くの人々が避難のために中に入ったという。今は入口が閉鎖されているため、中を見ることはできなかった。看板は、「岡田街並保存会」が立てたもので、悲惨な戦争の記憶を風化させないようにとの思いであろう。緑のシダに覆われている。
この地に郵便局が初めて出来たのは明治32年のこと。その後、名称変更や移転廃止などを繰り返しながら、平成5年に「知多簡易郵便局」として復活した。簡易郵便局とは、郵政民営化以前に、窓口業務を団体あるいは個人に委託する局をいう。全国に約4000か所あるという。

坂道の石垣に不思議なものを見つけた。大口径のヒューム管のようだが、排水溝が道路に顔を見せるわけがない。説明の看板があって、戦時中の「防空壕」であることが分かった。昭和18年、本土空襲に備えて、地域住民が自ら掘った壕の入り口である。
当時は、2か所の口があって、U字型に繋がっていた。度々の名古屋空襲のときには、多くの人々が避難のために中に入ったという。今は入口が閉鎖されているため、中を見ることはできなかった。看板は、「岡田街並保存会」が立てたもので、悲惨な戦争の記憶を風化させないようにとの思いであろう。緑のシダに覆われている。
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