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中山道「落合の石畳」と「馬籠宿」
「木曽路はすべて山の中である。あるところは岨(そま)づたいに行く崖の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曽川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の街道はこの深い森林地帯を貫いていた。」島崎藤村『夜明け前』冒頭の一節である。
中山道・木曽路を語ろうとしたとき、この名文を超える説明は無理と思い、そのままお借りした。中央線・中津川駅を出発し、「十曲峠」を越えて馬籠宿まで歩いたことがある。ヤマツツジの咲く早春であったが、山道は険しく汗ばむほどであった。4里(16km)ほどの曲がりくねった坂道である。

川沿いの平坦な道から山地に差し掛かると、「落合の石畳」の登りになる。落合宿と馬籠宿の間の「十曲峠」に至る道である。一時は荒れていたというが、文久元年(1861)の皇女・和宮の通行と明治天皇の行幸のときに修理されたという。今も往時の姿をとどめる石畳は、東海道の箱根(2020・2・8掲載の「金谷宿の石畳」参照)とここだけである。
馬籠宿は、中山道六十九次の43番目の宿場であり、木曽11宿の一番南の宿場である。往時の宿場内の家は69軒、本陣1、脇本陣1、旅籠18軒であった。ほぼ中間地点にある旧本陣は、島崎藤村の生家であり、現在は「藤村記念館」になっている。

中山道・木曽路を語ろうとしたとき、この名文を超える説明は無理と思い、そのままお借りした。中央線・中津川駅を出発し、「十曲峠」を越えて馬籠宿まで歩いたことがある。ヤマツツジの咲く早春であったが、山道は険しく汗ばむほどであった。4里(16km)ほどの曲がりくねった坂道である。

川沿いの平坦な道から山地に差し掛かると、「落合の石畳」の登りになる。落合宿と馬籠宿の間の「十曲峠」に至る道である。一時は荒れていたというが、文久元年(1861)の皇女・和宮の通行と明治天皇の行幸のときに修理されたという。今も往時の姿をとどめる石畳は、東海道の箱根(2020・2・8掲載の「金谷宿の石畳」参照)とここだけである。
馬籠宿は、中山道六十九次の43番目の宿場であり、木曽11宿の一番南の宿場である。往時の宿場内の家は69軒、本陣1、脇本陣1、旅籠18軒であった。ほぼ中間地点にある旧本陣は、島崎藤村の生家であり、現在は「藤村記念館」になっている。

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