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法隆寺西院伽藍
蘇我馬子の飛鳥・法興寺をご紹介(2021・7・26「甘樫の丘」参照)したからには、聖徳太子の斑鳩(いかるが)・法隆寺を掲載しなければならない(両方で“仏法の興隆”になる)。斑鳩は、奈良盆地を流れる幾筋かの川を集めて難波の方へ流す出口、矢田丘陵の南端にある。(前回のマップ参照)
逆に、難波津に外敵が上陸したとすると、斑鳩を通って飛鳥へ向かうこととなる。法興寺が飛鳥の谷の防御とすれば、法隆寺は奈良盆地の入り口を守る地点と言える。聖徳太子は、蘇我馬子の姪と用明天皇の間に生まれた子であり、また、妃・刀自古郎女(とじこのいらつめ)は馬子の娘である。

法隆寺は、推古15年(607)に創建された。金堂や五重塔を中心とする西院伽藍(世界最古の木造建築)と夢殿を中心とする東院伽藍とに分けられる。長い松並木を歩き、南大門を過ぎて中門を入ると、西に五重塔が聳え、東に金堂がある。回廊の最北に大講堂、回廊の外に八角形の西円堂がある。
金堂外陣の土壁に描かれていた12面の壁画は、昭和24年(1949)1月26日の不審火により焼失してしまった。事件は、日本の文化財保護の歴史における象徴として記憶され、文化財保護法制定のきっかけとなった。また、1月26日は文化財防火デーに定められている。


◆この写真は私の狙い通りに撮影できた。葉・花・実もあり、蔓の様子も巻きひげも写っている。◆
逆に、難波津に外敵が上陸したとすると、斑鳩を通って飛鳥へ向かうこととなる。法興寺が飛鳥の谷の防御とすれば、法隆寺は奈良盆地の入り口を守る地点と言える。聖徳太子は、蘇我馬子の姪と用明天皇の間に生まれた子であり、また、妃・刀自古郎女(とじこのいらつめ)は馬子の娘である。

法隆寺は、推古15年(607)に創建された。金堂や五重塔を中心とする西院伽藍(世界最古の木造建築)と夢殿を中心とする東院伽藍とに分けられる。長い松並木を歩き、南大門を過ぎて中門を入ると、西に五重塔が聳え、東に金堂がある。回廊の最北に大講堂、回廊の外に八角形の西円堂がある。
金堂外陣の土壁に描かれていた12面の壁画は、昭和24年(1949)1月26日の不審火により焼失してしまった。事件は、日本の文化財保護の歴史における象徴として記憶され、文化財保護法制定のきっかけとなった。また、1月26日は文化財防火デーに定められている。


◆この写真は私の狙い通りに撮影できた。葉・花・実もあり、蔓の様子も巻きひげも写っている。◆
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