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山の辺の道
三輪山登拝の後は、お腹が減ったので、「三輪素麺」の店を探す。山の辺の道沿いの、土蔵や日本庭園のあるお店で「冷やしそうめん」と「柿の葉寿司」をいただいた。ここは、素麺発祥の地であり、今なお生産が盛んである。柿の葉寿司も、奈良の郷土料理である。
「山の辺の道」は、弥生時代にできたという最古の道である。三輪山山系のふもとを、南北に約26km貫いている。ところどころ幅広くて、車通行が可能な所もあるが、基本的には人の歩く道である。石畳で舗装されている所もある。 ≪マップは9月13日の図を見てください≫

第10代崇神天皇の時代、疫病などで世が乱れていた時に、大物主大神のお告げでその子孫「大田田根子」を探し出して祀ったところ平安が戻ったという。その社が「若宮社」である。
しばらく北へ進むと「檜原(ひばら)神社」がある。三輪山がご神体であるため本殿はなく、大神神社と “うりふたつ” の「三ツ鳥居」が立っている。それまで宮中にお祀りされていた「八咫の鏡」が、初めて外に出された場所である。
少し開けて水田のある集落に差し掛かると、古い藁葺きの家があった。草葺屋根を残しながら、保存のためにトタンで覆ってある。庭に柿の木が1本。実を食べ、葉で寿司を作るのであろうか。

「山の辺の道」は、弥生時代にできたという最古の道である。三輪山山系のふもとを、南北に約26km貫いている。ところどころ幅広くて、車通行が可能な所もあるが、基本的には人の歩く道である。石畳で舗装されている所もある。 ≪マップは9月13日の図を見てください≫

第10代崇神天皇の時代、疫病などで世が乱れていた時に、大物主大神のお告げでその子孫「大田田根子」を探し出して祀ったところ平安が戻ったという。その社が「若宮社」である。
しばらく北へ進むと「檜原(ひばら)神社」がある。三輪山がご神体であるため本殿はなく、大神神社と “うりふたつ” の「三ツ鳥居」が立っている。それまで宮中にお祀りされていた「八咫の鏡」が、初めて外に出された場所である。
少し開けて水田のある集落に差し掛かると、古い藁葺きの家があった。草葺屋根を残しながら、保存のためにトタンで覆ってある。庭に柿の木が1本。実を食べ、葉で寿司を作るのであろうか。

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