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犬山城の外堀
犬山城外堀の発掘調査が行われている。場所は大手門と城下町の境界辺りである。見つかった外堀の幅は17.5m、深さは6.5m。水のない空堀で、石垣を造らない素掘りであったことも判明した。これは、江戸時代に描かれた絵図やその記載とほぼ一致しているという。
木曽川左岸に位置する犬山は、尾張と美濃の国堺に当たり、交通上・軍事上の要衝であった。それ以前から城があったが、現在の位置に建てられたのは文禄4年(1595)のことである。江戸時代になって、家康の9男・義直が尾張藩主となるとその御付家老・成瀬氏が入城することとなった。

明治になって廃城となり、門などは撤去され堀は埋められてしまった。しかし天守は保存され、国宝指定された5城のひとつに数えられている。ちなみに他の4城は、姫路城・松本城・彦根城・松江城である。残念ながら、戦前に真っ先に国宝指定された名古屋城は、戦災で焼けてしまった。
犬山城は、つい最近まで個人所有であったことでも有名である。平成16年に公益社団法人に移管された。城の南一帯に並ぶ町屋は、今も古建築が残されている。現在、「伝統的建造物群保存地区」に指定すべく委員会を立ち上げて準備している。指定されれば、愛知県では足助、有松に次いで3番目となる。

木曽川左岸に位置する犬山は、尾張と美濃の国堺に当たり、交通上・軍事上の要衝であった。それ以前から城があったが、現在の位置に建てられたのは文禄4年(1595)のことである。江戸時代になって、家康の9男・義直が尾張藩主となるとその御付家老・成瀬氏が入城することとなった。

明治になって廃城となり、門などは撤去され堀は埋められてしまった。しかし天守は保存され、国宝指定された5城のひとつに数えられている。ちなみに他の4城は、姫路城・松本城・彦根城・松江城である。残念ながら、戦前に真っ先に国宝指定された名古屋城は、戦災で焼けてしまった。
犬山城は、つい最近まで個人所有であったことでも有名である。平成16年に公益社団法人に移管された。城の南一帯に並ぶ町屋は、今も古建築が残されている。現在、「伝統的建造物群保存地区」に指定すべく委員会を立ち上げて準備している。指定されれば、愛知県では足助、有松に次いで3番目となる。

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