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犬山城下「旧奥村邸」の庭園
犬山城下には、古いお屋敷がたくさん残っている。その中に「旧奥村邸」がある。この建物は、江戸時代の呉服商・奥村氏の住宅である。天保13年(1842)の犬山大火の直後に建設された。瓦葺の二階建てで、壁は黒い漆喰塗りである。
明治32年(1899)に大規模な修復が行われたが江戸後期の町屋の形態を留めており、貴重な文化遺産といえる。庭園も往時の様子を色濃く残している。門をくぐると右側に玄関があり、飛び石に導かれて真っ直ぐに進むと、塀に囲まれた中庭に至る。

手入れの行き届いた庭木や草花、蘚(こけ)が美しい。各種の灯籠や手水鉢も年代を感じさせる。水琴窟の蹲踞もある。土蔵の横に「銀明水」が湧き出ている。これは木曽川の伏流水で、織田信長が武田勝頼攻めのときに立ち寄って、この水を飲んだと伝えられている。
建物は、江戸末期の主屋・棟門・米蔵、大正時代までに建てられた金庫蔵・道具蔵・離れ・納屋・渡り廊下・東高塀の9件が登録有形文化財に登録されている。現在、フランチ創作料理の「なり多」として営業している。


明治32年(1899)に大規模な修復が行われたが江戸後期の町屋の形態を留めており、貴重な文化遺産といえる。庭園も往時の様子を色濃く残している。門をくぐると右側に玄関があり、飛び石に導かれて真っ直ぐに進むと、塀に囲まれた中庭に至る。

手入れの行き届いた庭木や草花、蘚(こけ)が美しい。各種の灯籠や手水鉢も年代を感じさせる。水琴窟の蹲踞もある。土蔵の横に「銀明水」が湧き出ている。これは木曽川の伏流水で、織田信長が武田勝頼攻めのときに立ち寄って、この水を飲んだと伝えられている。
建物は、江戸末期の主屋・棟門・米蔵、大正時代までに建てられた金庫蔵・道具蔵・離れ・納屋・渡り廊下・東高塀の9件が登録有形文化財に登録されている。現在、フランチ創作料理の「なり多」として営業している。


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