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長良大橋と犀川制水樋門
ニューヨーク・ウォール街で昭和4年(1927)に起こった株の大暴落をきっかけに、世界大恐慌が始まった。その影響を受け、日本経済も大混乱を巻き起こした。政府は積極的な財政支出を推進し、農村を中心に大規模な公共土木工事を行なったのである。
長良大橋の建設は、失業者への救済対策のひとつとして行われた。昭和8年完成。全長約385m、幅員15mの曲線ワーレントラス橋である。当初は、鉄道も併用する予定であったので、リベットを多用した重厚な構造となっている。橋の上から上流を眺めると、左側に墨俣城を見ることができる。

「墨俣城」いわゆる「一夜城」は、永禄9年(1566)織田信長の美濃攻めの際、木下藤吉郎が短期間に築いたという。河川を越えて敵方に造る拠点を「橋頭堡」という。この砦を足掛かりに信長は美濃攻めを成功させる。藤吉郎の出世ストーリーである。
(水際にお城の形の歴史博物館が建っている。ただ、名古屋城や大垣城に似た天守閣の形態は、
歴史考察的にいかがなものだろう?)
五六川は、犀川と合流したのち長良川に注ぐ。下の写真は、本流と並行して流れる水路の水をコントロールするための樋門である。鉄筋コンクリート造り、昭和9年(1934)に完成した。後方に見えるのは本流との間の水門である。


長良大橋の建設は、失業者への救済対策のひとつとして行われた。昭和8年完成。全長約385m、幅員15mの曲線ワーレントラス橋である。当初は、鉄道も併用する予定であったので、リベットを多用した重厚な構造となっている。橋の上から上流を眺めると、左側に墨俣城を見ることができる。

「墨俣城」いわゆる「一夜城」は、永禄9年(1566)織田信長の美濃攻めの際、木下藤吉郎が短期間に築いたという。河川を越えて敵方に造る拠点を「橋頭堡」という。この砦を足掛かりに信長は美濃攻めを成功させる。藤吉郎の出世ストーリーである。
(水際にお城の形の歴史博物館が建っている。ただ、名古屋城や大垣城に似た天守閣の形態は、
歴史考察的にいかがなものだろう?)
五六川は、犀川と合流したのち長良川に注ぐ。下の写真は、本流と並行して流れる水路の水をコントロールするための樋門である。鉄筋コンクリート造り、昭和9年(1934)に完成した。後方に見えるのは本流との間の水門である。


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