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宮田用水と宮田西閘門
木曽川の御囲堤については、先回の「入鹿池」の項で少し触れた。御囲堤の整備は、洪水を防ぐだけでなく、家康にとっては大坂方からの防御や木曽山からの木材運搬のためでもあったらしい。堤防が出来たため、大雨時などの氾濫は防げるようになったが、田畑への灌漑はできなくなってしまった。
そのため、従来の支流に代る「用水」を整備する必要があった。まず東西に走る「宮田用水」ができ、そこから南へ流れる「大江用水」や「般若用水」、「奥村用水」が開削された。
木曽三川や用水、輪中の様子を一枚にまとめてみた。これは独立行政法人「水資源機構」のホームページに掲載されている3枚の地図を重ね合わせたものである。(なかなかの労作!?)

用水への「取水口(杁)」は、洪水などにより土砂が堆積すると使用できなくなる。宮田用水への取水口は当初、一宮市の「大野杁」(現在は極楽寺公園あたり)であったが、江南市の「宮田西元杁」、「宮田東元杁」に移り、さらに上流の「鹿ノ島杁」へと移った。最終的には、犬山市の「犬山頭首工」が昭和37年(1962)に完成して今に至っている。(2021・11・17「犬山頭首工」参照)
「宮田杁」の近く、「宮田用水」から「大江用水」へと注ぐ所に「宮田西閘門」がある。船を上下させて進ませる装置である(2013・3・13の「松重黄門」参照)。今は、用水が暗渠化されたため水面はなく、閘門を構成していた石積みと橋だけが残っている。石積みは「長七たたき(人造石工法)」で出来ている。橋の親柱に「宮田西閘門」「明治三十四年改築」の文字が刻んであった。


そのため、従来の支流に代る「用水」を整備する必要があった。まず東西に走る「宮田用水」ができ、そこから南へ流れる「大江用水」や「般若用水」、「奥村用水」が開削された。
木曽三川や用水、輪中の様子を一枚にまとめてみた。これは独立行政法人「水資源機構」のホームページに掲載されている3枚の地図を重ね合わせたものである。(なかなかの労作!?)

用水への「取水口(杁)」は、洪水などにより土砂が堆積すると使用できなくなる。宮田用水への取水口は当初、一宮市の「大野杁」(現在は極楽寺公園あたり)であったが、江南市の「宮田西元杁」、「宮田東元杁」に移り、さらに上流の「鹿ノ島杁」へと移った。最終的には、犬山市の「犬山頭首工」が昭和37年(1962)に完成して今に至っている。(2021・11・17「犬山頭首工」参照)
「宮田杁」の近く、「宮田用水」から「大江用水」へと注ぐ所に「宮田西閘門」がある。船を上下させて進ませる装置である(2013・3・13の「松重黄門」参照)。今は、用水が暗渠化されたため水面はなく、閘門を構成していた石積みと橋だけが残っている。石積みは「長七たたき(人造石工法)」で出来ている。橋の親柱に「宮田西閘門」「明治三十四年改築」の文字が刻んであった。


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