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伊能忠敬測量之跡
伊能忠敬の測量図を見に行ったことがある。2004年10月に、名古屋ドームで開催された「大日本沿海輿地図」の展覧会である。明治に写された伊能大図で、アメリカに渡っていたものが発見されて里帰りしたのだという。
名古屋ドームの人工芝の上に日本列島の形に並べられた。全部で214枚、1枚がタタミ1畳分もあろうかとの大きさ(少しオーバーか?)なので、ライトの選手の守備範囲いっぱいに広げられていた。海岸沿いに細かく描かれた地図を、列島一周歩いて観る。あまり大きいので全体像を見るためには、外野席に登って見なければならない。

伊能忠敬は、江戸中期の地理・暦の学者である。我が国最初の実測地図を作製した。生まれは上総、今の千葉県佐原である。江戸に出て西洋暦法を学び、幕府の命により蝦夷も含め全国を測量した。踏査は55歳から始め、73歳で亡くなるまで続けられた。その間に、4000万歩も歩いたという。
尾張には、享保3年(1803)に訪れている。飛島村の筏川近くに、記念する石碑が立っている。「伊能忠敬測量之跡」である。石の銘板には、ここ大宝新田から御嶽山・恵那山・本宮山の方向に矢印が刻まれている。
今、忠敬の生涯を描いた映画が上映されていると聞いた。主演は中井貴一と北川景子、「大河への道」というタイトルである。私も測量会社の社員であるので、忠敬の苦労話を見ておきたいと思う。
◆◆明日6月3日は「測量の日」です。(2013年6月13日のブログを参照してください)◆◆

名古屋ドームの人工芝の上に日本列島の形に並べられた。全部で214枚、1枚がタタミ1畳分もあろうかとの大きさ(少しオーバーか?)なので、ライトの選手の守備範囲いっぱいに広げられていた。海岸沿いに細かく描かれた地図を、列島一周歩いて観る。あまり大きいので全体像を見るためには、外野席に登って見なければならない。

伊能忠敬は、江戸中期の地理・暦の学者である。我が国最初の実測地図を作製した。生まれは上総、今の千葉県佐原である。江戸に出て西洋暦法を学び、幕府の命により蝦夷も含め全国を測量した。踏査は55歳から始め、73歳で亡くなるまで続けられた。その間に、4000万歩も歩いたという。
尾張には、享保3年(1803)に訪れている。飛島村の筏川近くに、記念する石碑が立っている。「伊能忠敬測量之跡」である。石の銘板には、ここ大宝新田から御嶽山・恵那山・本宮山の方向に矢印が刻まれている。
今、忠敬の生涯を描いた映画が上映されていると聞いた。主演は中井貴一と北川景子、「大河への道」というタイトルである。私も測量会社の社員であるので、忠敬の苦労話を見ておきたいと思う。
◆◆明日6月3日は「測量の日」です。(2013年6月13日のブログを参照してください)◆◆

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