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顕正寺山門とつんつく橋
四日市あすなろう鉄道・内部線(2014・9・17参照)・日永駅の西に、面白い2つの施設がある。ひとつは顕正寺山門であり、もう一つは天白川に架かる「つんつく橋」である。この辺りは、四日市港と鈴鹿山系御在所岳・鎌ヶ岳の中間地点に位置する平野である。
顕正寺の山門は、寺院には似つかわしくない形をしている。「高麗門」という形式で、通常は城郭の門として設置される。2本の本柱の上に切妻屋根が載り、控え柱の上にも切妻の小屋根を載せている。元は鈴鹿の神戸城にあった門を、明治9年(1876)に移築したものだという。

「つんつく橋」は何の変哲もないコンクリート橋である。架かる天白川も小さな川で、橋長も長くなく幅員も左右一車線と歩道で構成されている。しかし、高欄に面白いレリーフが添えられている。「日永つんつく踊り」を描いた作品である。
この踊りは、日永地区に古くから伝わる郷土色豊かな踊りである。その起源については、滝川一益の命により、母親の隠居所あるいは天白川の堤防を築くための「地固め」のときに歌ったのが始まりとの伝承がある。今でも、6月第一土曜日に両聖寺境内で、保存会を中心に開催されている。(踊りの写真は四日市観光協会のホームページから転載した)

顕正寺の山門は、寺院には似つかわしくない形をしている。「高麗門」という形式で、通常は城郭の門として設置される。2本の本柱の上に切妻屋根が載り、控え柱の上にも切妻の小屋根を載せている。元は鈴鹿の神戸城にあった門を、明治9年(1876)に移築したものだという。

「つんつく橋」は何の変哲もないコンクリート橋である。架かる天白川も小さな川で、橋長も長くなく幅員も左右一車線と歩道で構成されている。しかし、高欄に面白いレリーフが添えられている。「日永つんつく踊り」を描いた作品である。
この踊りは、日永地区に古くから伝わる郷土色豊かな踊りである。その起源については、滝川一益の命により、母親の隠居所あるいは天白川の堤防を築くための「地固め」のときに歌ったのが始まりとの伝承がある。今でも、6月第一土曜日に両聖寺境内で、保存会を中心に開催されている。(踊りの写真は四日市観光協会のホームページから転載した)

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