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四日市の「思案橋」と常滑の「腰掛石」

 ブログを10年も書いていると(760回発信)、面白いことに出会う。四日市旧港西の「思案橋」という謂われのある橋を取材したところ、徳川家康がここで思案に暮れたことからの命名とのこと。それを聞いて、常滑の「正住院」というお寺に、家康の「腰掛石」があったことを思い出した。
 天正10年(1582)6月、家康は安土で織田信長のもてなしを受けた後、堺でくつろいだ遊覧の旅をしていた。そこに、京都・本能寺で信長が明智光秀に殺されたとの知らせが入ったのである。身の危険を感じた家康は、伊賀の山越えをして三河・岡崎に逃げ帰る道を選んだ。

思案橋G

 何とか山賊の攻撃などを凌いで、伊勢の国・四日市に到着したのがこの地である。昔は、「築地」と呼ばれる港の入口の州浜であったという。そこに架かる土橋の上で、陸路を行った方が良いのか、海路を舟に乗った方が助かるのか思案したのだという。
 現在は、広くなった道路の両側にモニュメントとしての「思案橋」が造られている。橋のたもとにはヤナギの古木も植えてある。
 何とか無事に伊勢湾を渡った家康は、尾張の国の常滑に上陸した。その港近くのお寺・正住院で、ホッとして座った石が「家康公腰掛の石」(2018・5・31参照)として伝わっているのである。

家康の石G

季節通信43フタバアオイ

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ブログを始めるに当って

 私ども「中部復建」は、戦後から一貫して土木施設の計画設計に携わってきました。地域の皆さんに、より身近に土木を感じて頂きたく先人が残してくれた土木遺産等を訪ね歩き≪中部の『土木文化』見てある記≫として、皆さんに紹介していきたいと思い、このブログを発信する事としました。  

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プロフィール

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Author:FC2USER480348EQK
森 田 高 尚
昭和21年6月 半田市生まれ
平成12年 東山植物園長
平成17年 名古屋市緑地部長
平成19年 中電ブルーボネット園長
平成24年 中部復建技術顧問
技術士:(建設部門・環境部門)
公園管理運営士 
著書:『園長さんのガーデンライフ』
監修:『世界一うつくしい植物園』
 (著者:木谷美咲)
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