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平和橋
昭和12年(1937)、港区で「名古屋汎太平洋平和博覧会」が開催された。「産業の振興」・「文化の発展」・「平和と親善」を目的とするもので、78日間の期間中に480万人の入場者を得たという。平和橋は、この時に建設されたもので、博覧会の主旨「平和」の文字に因んで名付けられた。
この年は、東洋一と謳われた名古屋駅の駅舎が完成し、また東山動物園・植物園も開園した年である。100万都市名古屋が目覚ましく発展した時期である。博覧会の会場は都心から離れた場所であったので、市電が延伸整備された。平和橋の幅員が非常に広いのは、真ん中を市電が走ったためであろう。

平和橋は、港北運河を跨ぐ橋である。港北運河は、中川運河の支線として開削されたもので、当時は艀(はしけ)による物流が盛んであった。橋のクリアも船舶が通行できる高さだったと思われる。現在は、運河の一部(平和橋の下も含む)は埋め立てられて「港北公園」となっている。
博覧会会場は、現在「港アクルス」(2019・3・11参照)として再開発されている。住宅ゾーンや商業ゾーンなどがあり、その中心に「ららぽーと」が営業している。ららぽーとの南に「水上バス」の船着き場がある。港北運河・中川運河や名古屋港を運行する船である。


この年は、東洋一と謳われた名古屋駅の駅舎が完成し、また東山動物園・植物園も開園した年である。100万都市名古屋が目覚ましく発展した時期である。博覧会の会場は都心から離れた場所であったので、市電が延伸整備された。平和橋の幅員が非常に広いのは、真ん中を市電が走ったためであろう。

平和橋は、港北運河を跨ぐ橋である。港北運河は、中川運河の支線として開削されたもので、当時は艀(はしけ)による物流が盛んであった。橋のクリアも船舶が通行できる高さだったと思われる。現在は、運河の一部(平和橋の下も含む)は埋め立てられて「港北公園」となっている。
博覧会会場は、現在「港アクルス」(2019・3・11参照)として再開発されている。住宅ゾーンや商業ゾーンなどがあり、その中心に「ららぽーと」が営業している。ららぽーとの南に「水上バス」の船着き場がある。港北運河・中川運河や名古屋港を運行する船である。


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