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名古屋港の人造石護岸
50年前、植物園の日本庭園を設計している時には、トレーシング・ペーパーに鉛筆で図を書いていた。ゼロックスもなく、青色のコピー機の時代である。久しぶりに、図面をトレース(原図の上に薄紙を当てて写すこと)した。引き出しの奥から「オストリッジ・ペーパー」(懐かしい)を探し出して!!
名古屋港の名港管理組合の入り口に、「人造石」の発掘展示があり、その説明版に古い護岸の断面図が添付されている。写真を撮ってきたのでブログに掲載しようと考えたが、汚れもあってハッキリ見ることができないのである。そこで、昔の腕を揮ってトレース作業に挑んだという次第である。

この人造石の野外展示は、建設工事にともない掘削現場から出土したものの一部である。旧2号地(現ガーデンふ頭)の両側護岸として明治36年(1903)に建設されたという。断片ではあるが、今も石との接着はビクともしていない。
「人造石」は、石灰と種土(花崗岩の風化した土)に水を加えて練り、叩き固めたものである。碧南の服部長七が考案したことから、「長七たたき」とも呼ばれる。貴重な土木遺産であるので、このブログに何度も登場している。例えば、四日市旧港の「潮吹き防波堤」(2013・7・2)や瑞浪市の「牛牧閘門」(2021・12・23)などである。今も現役で使用されている。


名古屋港の名港管理組合の入り口に、「人造石」の発掘展示があり、その説明版に古い護岸の断面図が添付されている。写真を撮ってきたのでブログに掲載しようと考えたが、汚れもあってハッキリ見ることができないのである。そこで、昔の腕を揮ってトレース作業に挑んだという次第である。

この人造石の野外展示は、建設工事にともない掘削現場から出土したものの一部である。旧2号地(現ガーデンふ頭)の両側護岸として明治36年(1903)に建設されたという。断片ではあるが、今も石との接着はビクともしていない。
「人造石」は、石灰と種土(花崗岩の風化した土)に水を加えて練り、叩き固めたものである。碧南の服部長七が考案したことから、「長七たたき」とも呼ばれる。貴重な土木遺産であるので、このブログに何度も登場している。例えば、四日市旧港の「潮吹き防波堤」(2013・7・2)や瑞浪市の「牛牧閘門」(2021・12・23)などである。今も現役で使用されている。


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