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赤坂湊跡と美濃赤坂駅
赤坂宿は江戸から数えて56番目の宿場町である。歌川広重の「木曽街道六十九次」では川(杭瀬川?)を渡る土橋の景色として描かれている。本陣・脇本陣と17軒の旅籠が建ち並んでいた。金生山(きんしょうざん)で採掘される石灰と大理石を利用した工業が興り、大いに繁盛していたという。
杭瀬川に繋がる運河があり、中山道と交わる地点に川湊があった。肥料用の石灰や建築資材としての大理石などが、船により運搬されていた。現在も、船着き場と常夜灯が残っている。白壁の洋風建物は、明治8年(1875)に建てられた警察屯所で、今は赤坂港会館として使用されている。

赤坂湊は、往時は500艘もの船が往来していた。しかし、東海道本線の支線「美濃赤坂線」の開通により、また下流に水門が出来たことにより廃絶となってしまった。支線は、大正8年(1919)に開通し、昭和3年には石灰石輸送のための西濃鉄道が乗り入れを開始した。
現在もJR東海(1日18便)・JR貨物(1日3便)として運行している。美濃赤坂駅は、支線開通の年に建設されたままの木造平屋建てである。明治19年築(1886)の武豊線・亀崎駅(2013・4・16参照)ほど古くはないが、ノスタルジックな雰囲気の残る駅舎である。

杭瀬川に繋がる運河があり、中山道と交わる地点に川湊があった。肥料用の石灰や建築資材としての大理石などが、船により運搬されていた。現在も、船着き場と常夜灯が残っている。白壁の洋風建物は、明治8年(1875)に建てられた警察屯所で、今は赤坂港会館として使用されている。

赤坂湊は、往時は500艘もの船が往来していた。しかし、東海道本線の支線「美濃赤坂線」の開通により、また下流に水門が出来たことにより廃絶となってしまった。支線は、大正8年(1919)に開通し、昭和3年には石灰石輸送のための西濃鉄道が乗り入れを開始した。
現在もJR東海(1日18便)・JR貨物(1日3便)として運行している。美濃赤坂駅は、支線開通の年に建設されたままの木造平屋建てである。明治19年築(1886)の武豊線・亀崎駅(2013・4・16参照)ほど古くはないが、ノスタルジックな雰囲気の残る駅舎である。

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